文藝春秋の新刊案内 2022 8

タイトルは「考える」。ネコさんはコップを見ながら何を考えているか。擬人化というか、ペットでも植物でもそれ以外道端の石やらその他「いまなに考えてるんだろな」とみていて思うことが時々。

当然、人に近い一緒に暮らしているペットだろうが、ヒト的な思考だの感慨だのを持つわけはなく、数秒先のこと考え行動、それだけで終わり、継続はせぬ。

長田弘「ねこに未来はない」をむかし読んだ、タイトルの第一印象は勘違いで「ねこは未来を考えられない」という方の「未来はない」だった。つまり人以外の生物に「未来はない」わけで、未来という意味を知っている僕ら人類みながこうして生きている→文化や歴史を生きているんだなあと、深く考えちゃいます。

わたしもなじんでおりません

 

群ようこ著 スマホになじんでおりません 文藝春秋

もちろんノウハウ本でまったくなくて、でもそのへんはもう少し工夫すべきだった。日本中、多くの困っている使いこなせずにいる中高年→いや若い人でも多くいるわけで、この本を読んだせいで、いくつか「知らなかったがこれは便利」「このアプリ入れてみたい」と、興味がわく紹介などいれられたのでは。
フリックが面倒で、入力慣れるまで大変だったと記してあり、それは初心者のすべてが大変で、でも数カ月こなせば自然にでき、わたしなんぞ慣れるまでは、アイフォンでキーボードを出しそっちを使った。もうみなさん悪戦苦闘はしたけれど、そのうちフリック当たり前となったのだろう。
著者は「PC中心で、スマホは持ち歩いたりしない」暮らし、仕事ぶりだそうで、それだったら「スマホになじまなくてもいいのでは」とレスしてあげたい。もちろん、月に1万円弱が基本料金のスマホです、読み終えての感想だがスマホになじみたいけど、困っている人の奮戦記を読みたかった。
猫の病気でタクシーを呼ぶために、著者はスマホを購入したわけで、その作業にスマホは貢献したはず。ある意味それ以外は余分の使い勝手なわけで「スマホになじむ」必要はなく、検索とか他の人から教えてもらうとかで充分。そう考えて一冊を作ったなら、なじんでおらないもっと多くの人に届いたのではないか。残念です。

文藝春秋の新刊 2022 7 「宵々々山」

祇園祭の前々夜…なんですね。京都町家ゲストハウス錺屋さんのブログを貼ります。

www.kazari-ya.com

「舌をかみそうですが、14日が宵々々山、15日が宵々山、きょう16日が宵山です」と、記してあります、わたしもはじめて知りました。イラストは日中ですね、これから山車→山鉾が出てくるウキウキ感や緊張感が徐々に高まってくる時刻なのだろう。

イラストレーター大高郁子氏は、京都出身で東京在住ですので、お祭りや風俗習慣など多く引き出しを持っておられるでしょう。

探してみたら寺田屋とか一保堂とか、おやおや2010年は一年間京都特集だったのね。7月「床」だけ時代が外れてます。

2001年7月が「床」京都の夏の風物詩です。

2010年1月が「寺田屋」今もそのままあるのかな、血痕とかも。

2010年12月が「終い弘法」 東寺だそうです。

購入したのは群ようこスマホになじんでおりません」誰でも最初は奮戦、防戦、諦めかけたり嘆いたりするものですが、まあ知らぬうちには相棒認定ですね。読み終えたらひとこと記し、その後前の月、あとの月のチラシとその外側を探しに行きます。

 

悲しい失敗…でも分かっていたこと

昨日「文藝春秋新刊案内」リーフレットを収集する過程で購入した書籍2冊。6月の新刊案内を挟んでいたのが、赤川次郎著「幽霊認証局」。何だかとても悲しい読書体験となった。

粗製乱造の人じゃないかとか、まあ初めからあまり期待せずの購入だったが、半年くらいきちんと本を読んでないので、純文学とか「読めないとやだな」みたいな気分で、購入しちゃって、ものすごい後悔であります。

わたし割りと赤川次郎のよき読者であり、大学留年時代だったが「マリオネットの罠」も「幽霊列車」も、初版購入している。大学退学し新潟の喫茶店で働き始めたとき、高校生のアルバイトるみちゃんと「吸血鬼」シリーズ面白いねえとか貸し借りしていたりもあった。

その後、なんだか離れてしまったが、もうここまで詰まらないミステリでいいんだろうかと、昨日午後はとても気が滅入ってしまった。最初の2編読んだきりだが、まあ壁本ですね、読むのを止めました。えーとでも、Amazonで★4つだな、赤川次郎ファンにはこれで充分楽しめるんだな。

アルツハイマーにならぬよう、読書を再開し脳の活性化を図るつもりだったが、なんだか悪化しそうな読書再開第一日目でありました。昨日購入のもう一冊は、群ようこさんなのね、これから読み始める予定です。

文藝春秋の新刊 2022年 6月 「入梅」

昨日、他のブログに記したとおりで、読書する気力が失せかけていたわたしだが、それも関係あってだろう、脳の衰えが激しく、アルツハイマー認知症の初期症状を患いかけている67歳初老の今後が危ぶまれている。

kokoronokoe.hatenablog.jp

他のブログで日々文章みたいな駄々っ子のわがままみたいな、そんなの記しているけれど、けっこうな本の虫だったわたしが、書店にもブックオフにも近づかなくなり半年経過し、やっぱりそれは脳がヘタッていたのだろう。

本日も(新潟市内雨のため)バスに乗って駅南まで向かったのだがジュンク堂の位置をほとんど覚えておらず、半年近づかなかったせいか、アルツハイマー病の症状なのか、少し焦った。隣接するビッグカメラの1階もモダン100円ショップみたいで、半年で変化している駅周辺なのは事実で、そのせいでの見落としかもしれぬが。

勘違いはまだまだ。本日紹介の新刊案内、今年6月のものだが、こちらでは今年4月までしか紹介してない。それはもうアルツハイマーのせいでなく、ただの間抜けからです。さあ、読書に励んでみようか。

文藝春秋の新刊 2022年 4月 「三津の渡し」

「三津」という地名のせいで関東に生息する石丸くんは、三津(みと)シーパラダイス周辺の景色なのだろ、渡し船もあるのだろ、と十数分前まで勘違いしていた。

www.mitosea.com

大学生時代、都内の飲食店員時代、知人と民宿に行ったりその近所でキャンプしたりで懐かし地名だとでも残念、三津(みつ)の渡しと検索で知り、すこしガクって。

www.city.matsuyama.ehime.jp

のどかな風景で、見てみたい気持ちはあるが、四国ですか遠いね。わたしの一生はあと十数年、健康寿命はまあ10年弱だろうが、旅行なんか無縁で九州も四国も広島も行かずに人生閉じるのではないか。

死んだ父は旅行好きで、周遊券を購入し××一周旅行など1週間ほど休暇を取っていってましたね。退職後は母と車でやっぱり××一周とかのドライブ旅行に。旅行の最後の一日くらいは都内北区の公団アパート住まいのわが家に寄り、疲れを癒して帰っていった。

その父からの遺伝子を受け継がず、いやJTBのガイドや時刻表を眺める趣味は受け継いだが、何だろそれで満足しちゃったか、コストパフォーマンスてかお金がかかるしなあと思うと、趣味旅行にはならなかった。大高郁子イラストレーターは旅先でスケッチしているんだろな、世界中飛び回っているしな、とてもきれいなリーフレットです。

 

「カムカムマリコ」中途で読めなくなる

読むのが苦痛とかそんなのではぜんぜんなく、語り口も内容もニュアンスというか作者の居場所や景色も了解でき、前半は心地よく読んだのだが、まあ言ってみれば所詮は週刊誌中で、ちょっとたわいのない話しで、清涼飲料水っぽい気分転換なスタイル。

それを一年分積んできて「読みなさい」といわれれば、どこかでつまずく。わたしもつまずいた、というだけのことか。中途から拾い読みになってしまい、今後も身近でも少し拾い読みして、ちょっとこんな知識も頭の片隅においておこう。

本の話はここまで。本が読めなくなっただとか呆けたとか、ブログで嘆いている私ですが、昨日もちょっと驚き。朝の仕事を終え皆で駐車場まで帰る途中、頭の中で「ガソリン入れなきゃ」と考えていて、でも車に乗ってエンジンかけたらガソリン満タン、走行距離30キロでやんの、一昨日の仕事帰りにガソリン入れたの忘れたようだ。

まあね、こういう症状なんだ、物忘れ度忘れ物を失くす記憶から抜け落ちてる、そんなのばかりで、だとしたら対処療法でいかねばならぬか。

出納帳を作るべきか。お金を使ったその時(は無理でもできるだけ早く)、ノートに記して「よしOK」と声を出せば、わりと多くの作業イッシュー光景を意識して覚えていられる、忘れてもすぐよみがえるのでは。やってみましょう。