文藝春秋 1月刊 桐野夏生 奴隷小説

奴隷小説

奴隷小説

微妙な一冊。最新短編集でよろしいのを、変に括るから読者も歪んでアレゴリーを愉しめないのは、書肆の誤算だ。「ただセックスがしたいだけ」「告白」は“なにか違う”感を強く思い、だからそれは奴隷小説という括りが邪魔するからだろう。「告白」でいう本物の奴隷はまあ悲惨であるけど、400年昔だと生きているだけで現在の奴隷以下の境遇だったろうしまあなんともいいようがなかったりする。「ただセックスが…」、コウサという主人公がなぜその炭鉱にいるのかを諮りかねると、想像の翼がちっとも働かなくなる。
「山羊の目は空を青く映すか Do Gosts See the Sky as Blue?」北の共和国の収容所がモデルなんでしょうが、も少し具体的なガシェットが欲しいのと、主人公タンネ少年がなんと鐘つき1時間で2度のヘマしてカーテンコールなんて、あまりに小説の終わりとしては情けなくない?
「雀」「泥」両者ともとても美しい小説。人間はすべて奴隷か無期懲役の囚人でモータルな存在とときどき思い出すための喚起の小説、出会うことで先験的了解を得ることができる。ただし重くて重くて。

前略…
「おまえたちは、これから新たな道を行く。まず、最初に聞くことがある。おまえたちは、全員処女か?処女ならば、花嫁になる資格を有していることになる。処女は手を挙げよ」
全員、手を挙げたが、私は挙げなかった。司令官が、満足そうに見回る。わたしの前に来て、首を傾げた。
「お前は処女ではないのか?」
6番と10番が、必死に合図するのを無視して、私は首を横に振った。
「お前は処女でないのなら何だ」
私は従兄弟の名をまず告げた。
「私は、その男の妻となる者です。外の誰とも性交しませんし、誰にも、この経験を汚させません」
「生意気なことを言いやがって」
司令官が私を平手で打とうとしたが、私はするりと身をかわして泥に向かって歩いて行った。
「止まれ、撃つぞ」
兵士に脅されたが、私は泥の中に飛び降りた。
あの生徒の言った通り、木の枝のような物が足を支えて、体が沈むことはなかった。私は青空の見える岸を歩きだした。足の裏で、ここで死んで捨てられた者たちの掌や腕を感じる。彼らは、私が泥の中で歩くのを支えてくれているのだ。
プシュッと軽い音がして、沼の表面に小銃の弾が突き刺さった。まるで雨粒のようだ。どういうわけか、私の体には当たらなかった。
振り返ると、6番や10番、そして15番、18番が続いて、私と同じように沼の上を歩いてくるのが見えた。
さあ、皆で懐かしい家に帰ろう。私は泥の中にいる人々に話しかけた。
「泥」45-46ページ 終了部分

なんと美しい奴隷解放小説をわたしは手にしているのだろうかと、茫然としたまま読了した。