文藝春秋11月新刊 吉田修一 路

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へえ文學界連載ですか、新聞小説みたいかなって読みました。もちろんそれはほめ言葉です。7年という長い期間をうまく摘み上げ小さくジャンプさせたり溝に埋めたりの連ドラ的な作業が一気読みしてほとんど破綻なく(ちょっとみないい人すぎる)終末まで“線路は続くよどこまでも…”となっているなど、物語としては巧みだが文学となるとこれじゃあっけなく物足りない感じが強い。
わたしみたいなオールド鉄道ファンだと自強号とかきょ光号(きょ=草かんむりに呂)を中学生のころ鉄道ピクトリアルやファンで知ってましたし、どうでもいい知識だけれど戦前に内田百けん(けん=門がまえに月)が台湾の鉄道に乗りに来てお土産は何がいいかと問われ「キョン(豆鹿)がほしい」といったら怪訝な顔をされたとか、まあでもそういう蘊蓄などは、もちろんどうでもいいのですが。
小説としてはどうなんだろう、もちろん経済小説ではないけども少し地に足付けた算盤勘定を晒したらいいと思えるし、高速鉄道工事の機械音や精密機械のメカニック音がまったく小説から聞こえてこないのは作者の力量不足だと思う。全体の予定調和はいいのだけれどそこへたどりつく過程にもっと血と汗とが必要か。
どういえばいいのか、7年で数百キロの線路を敷設したという重みや痛みが感じられない。ああもちろん商社の算盤づくでもいいし台湾青年の勉強ぶりでもいいが、普通に地に足付いている感じが表せたのではないのかと。多田春香と劉人豪の出会い・再開が大きなエピソードで、劉くんが阪神地震でいてもたってもいられずヴォランティアとして神戸に来たというのは絵になるけれど春香さんが台湾地震で現地に行ったというのは、ウーンどうも信じられないなあ、そう仰るのなら嘘ではないというそれなりの言説があるべきだ。
ルーズとは違う台湾的な仕事の進め方などに商社マンの安西さんが苛立ったけれどいつの間にか同化したみたいな描かれ方だが、そのへんもおカネがどう動き損ねたとか留まり続けたのかとかディティールまでというか、悪役を登場さすとかまあなんだ、全体に関して工夫がなさすぎはしないか。なんかこう宮本輝の長いだけののっぺり小説然としていて、帯には「芥川賞作家の長篇最高傑作」の惹句が踊るのだが、楽しい物語だっただけに細部の甘さに関しては“最高”や“傑作”と言いたくない。
高速鉄道とは違うけど口直しというか、2ちゃんまとめサイト中に全国路面電車関連の画像が貼られたページを見つけました、最近のスレです。楽しみましょう。

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