集英社 6月刊 藤原智美 骨の記憶

「第一部 フィクション 空に舞う君へ」の第一編がもう怖くて、でも切実で、ありうべき物語にしか思えず、どこかが壊れそうでぶるると怖がりつつ読んだ。それでもってラストにスケルトン男爵をもらうことで完結したと勘違いでした。
第二編は蛇足。そういう意味では残りはすべてが蛇足だったかもしれない。兄がそんなにあっけなく死んでしまうなら、弟の恐怖や理不尽や不条理その他もろもろも、アリバイ作りというか兄をことさら悪くデフォルメしたのかとも思われ、第一編のスリルがどんどん消えていって残念だった。
ではノンフィクションのほうはどうかというと、最初のエピソードが駄菓子屋で手に入れたレントゲン機(鳥の羽根をはめ込んだいかさま)への執着と落胆が記されていて、うーむわたしもそのいかさまを知っているわけで「だからさ、小学生たちもみなフェイクとわかってたじゃない」とたしなめたくなる。そのあとのエピソードもたいがい既知だったり、金関丈夫という学者の骨標本に関しても、素直な感動が伝わりにくい。

…前略…
ともかく骨の持つフォルムは美しい。ただひとつ例外があるとすれば、それはあなたです。またまた失礼!あなたというより、ヒトすべてが美しくないのです。骨となった人間は、他の動物と比べるとあからさまにぶざまです。大地にたいして不安定きわまりなく、躍動感のかけらも見られません。
知能に特化することを選択したがゆえに、人間の骨格は美しさを捨てました。かわりに奇妙で不格好で不自然なものになりました。人間の頭骨の写真と蝙蝠の全身骨格の写真を見比べてみてください。どちらがダイナミックで美しく見えるか、一目瞭然でしょう。
しかしその一方で、人間の骨は不安定さや不自然な危うさという他の動物にない特徴を持っています。それが不気味なのです。だからこそ怪しい光を放っているともいえます。
…後略…
 あとがき 抜粋

ま、ちょっと長く著者の独白を引用したけど、やっぱり変に矛盾していてそれがテキスト全体を魅力あるものにしていない。不気味だからいいのか悪いのか、最初の一歩がもうひとつ分かりにくかった。でもフィクションの第一編はスリリングでしたよ。