集英社 10月刊 奥泉光 虫樹音楽集

虫樹音楽集

虫樹音楽集

連作長編というか巻末の初出一覧でみるなら06年の3編を記して以降いったん立ち止まってから、とても楽しい「虫樹譚」モスラみたいな「虫王伝」のインターミッションを挟み3.11以降のどさくさを味方につけよっこらドスンとバルタン星人みたいな虫樹の怪物を押さえつけ、既視感とモンタージュの戦慄で不気味なひとつの大きな変身譚を造り出しましたよという作品。とはいえ、ラストの“自分は渡辺征一の河川敷ライブには行っていない。”が生きているのかどうかはよくわからない。
シューマンの指」とは違い、小説中から音楽がこのたびはほとんど聞こえてこなかった。著者自身、渡辺征一の音楽の魅力をうまく表現していない(マイナーな演者と措定しているので)し、どういうタイプのサックスを頭に描けばいいのか見当がつかない。

前略…(イモナベの演奏を腐したあとで)…
けれども、いまやイモナベの「音を掴む」技法は、効果を発揮してしているといわざるを得なかった。濁った音や、音程の判然としない曖昧な音は一つもなく、だから畢竟その音列は十二種類の音でしかないわけだけれど、にもかかわらず、極めて耳慣れぬ響きとなって届いてくるのが不思議だった。無調の響きそのものは珍しくもなんともない。むしろ数多のフリージャズで聴かれる無調の音には飽き飽きしていたくらいだ。だから、耳慣れぬこと自体、希有な経験であり、つまり、これは斬新といってよかった。
…後略
 川辺のザムザ 023より

ま、フリージャズってシーン自体がもう不毛だったわけですしね。このあとも“対話性の欠如”とか“平板な響きの連続”とか「ジャズの言語化」などする気なさそうで、ちっともスゥイングさせてはくれない。
先日「シューマンの指」の読後感に関し“いい時代にオレって生きてるなあ…”とYouTube聴きながら小説読めて嬉しいぜみたいに記したけれど、こちらの小説でジャズは聴かなかったが、そのかわり青空文庫カフカ「変身」をDLしちゃっていちいち参照したりができて、まあちょっとビックリが入って嬉しいかな。文学少年だった石丸くんだから中学生で「変身」読んだけど、もすこし読者に親切で未来につながるSF名作の数々を同時期に読み進んでいたもので文学的感動をあまり持てなかった。「変身の書架」中にあった芝居のシーン、支配人の闖入と両親の困惑あたりは中学生のわたしも楽しめたんだが「山椒魚戦争」と同じ風刺としか感じられなかったし。高校生で安部公房とか倉橋由美子とか、カフカの後裔と定義された皆さんとの邂逅をとても楽しんだものだけれど。
装幀が凝っていて、たぶん著者の要望なのか各短編タイトルの活字や段組みなど変化をつけ読みにくさを含めた異化効果を醸す。「川辺のザムザ」のタイトル巨大文字にはまあ充分びっくりさせられました。タイトル以外で村上春樹のパロディと感じる部分はまあほとんどない、「海辺のカフカ」がちっともカフカと無関係だったしね。
虫樹譚の大学生はいいですね。たらちね大の男子生徒とか「神器」のネズミくん(彼もゴムを喰った)とかの超現代日本語会話体の活字化はもう神業じゃん、リアル2ちゃんに肉薄しすぎて奥泉光がすてきに文学に昇華させたね。あとジャズ評論関連のお遊びも、まあとても素敵でした。とはいえ、読み終えてなんだか謎が謎として直立してないのではという不安。こういうのって視覚化できないと作者の意図ってどうしても伝わりにくい。先日みてきた展覧会で鴻池朋子「シラー谷の者、野の者」というタイトルの現代アート襖絵が展示してあり、蝶の後脚が人間の肢になっていて、だからもうこれだけの連作長編を襖絵ひとつで表出していると、まあ見えないこともない─いい画像が見あたらないちっちゃいけど冒頭に置きます。いやでも、楽しかったですよ。読書自体は。
同時期購入した光文社文庫「麺'sミステリー倶楽部」に清水義範きしめんの逆襲」が載っていて、あれってどこがミステリーなんだろうと首をひねるが、そういえばあれもラストシーンでこちらと同じ戦慄のシーン(笑)があるんだった。まあ、考えオチということでいいんですかね。