角川文庫08年2月刊 島本理生 ナラタージュ

ナラタージュ (角川文庫)

ナラタージュ (角川文庫)

ナラタージュ」の意味は小林信彦の「映画×東京とっておき雑学ノート」でつい最近知りました。プレストン・スタージェスという1930年代のハリウッド脚本家が「力と栄光」という映画で“ナラタージュ”という技法を最初に使ったのだそうだ。

前略…<ナラタージュ>は<ナレーション(語り)>と<モンタージュ>の合成語である。─と書くと、むずかしく見えるが、いまや、誰でも知ってる手法です。
よくあるでしょう。たとえば、いきなり、主人公がブタ箱に入れられている。主役だから二枚目が演じるのだが、ひげがのびて、髪がクシャクシャになっている。
そこに、主人公の心の声がきこえてくる。「おれがあの女に会ったのは雨の夜で、道が濡れていた」といった画面外の声に合わせて、回想場面になる。これが<ナラタージュ>です。…(後略)
 「堀北真希、P・スタージェスの映画」より

無声映画からトーキーになったということは、音楽やセリフで映画鑑賞がラクチンになったということでなくドラマを重層的、構造的に表現しやすくなったということなのだね。
ま、タイトルの説明はどうでもよかったか。会話が整理されている─というより、活き活きせず棒読み状態なのはナラタージュ技法で回想しているわけなんですね。でもそれだったら会話に段落入れるなよと突っ込みたくなるけど。
わたしも振られたり振られたり…みたいな人生送っているので(淋しいが)恋愛の不成立みたいな機微に茶々は入れられないが、とはいえ主人公工藤泉の悲しみや苦しさが分かったわけではない。小野くんが「いただいちゃえば勝ち」的バカ青年だったせいで、そうでない高校教師に振り子が揺れすぎちゃったという、まあタイミングだけですよねと、苦笑いする読者のわたしです。なににしろその先は「赤い長靴」のながいながい夫婦生活が待ってるわけですしね。
母校の演劇部後輩がレイプされて自殺という展開、後味が悪いな。歯を折ったり釘が刺さったりとそうとう派手な暴行傷害事件じゃないか。いっそ演劇部全員で犯人探しに向かうとかベクトルの軌道を修正したほうががよいと思う─というか、そんなひどい自殺なのに主人公はといえば高校時代のいじめを傍観視した教師とやりあったりと、ドラマのための挿話というか場つくりみたいにみえた。小説全体の流れに棹をさしているとわたしには思えた。死が必要だったなら受験を苦にとか人生の意味を見失うとか、そんな理由での自殺でよかったのでは。
全体としてドラマが過ぎるというか、それこそナタラージュの妙(つまり主人公の主観入っちゃってる)かもしれないが行方不明の教師を東京都内で発見するとか、恋人のアパートから雨の中逃げ帰ると、電車の中の彼女の足許に水溜りがとか、これではあまりに演劇部だと引いちゃう。引かれちゃいかんよ、島本理生。やっぱもっとふつうの「赤い長靴」に繋がってゆく一人立ちした恋愛小説にしてほしいですね。