文春文庫08年1月刊 猪瀬直樹 こころの王国 菊池寛と文藝春秋の誕生

こころの王国―菊池寛と文藝春秋の誕生 (文春文庫)

こころの王国―菊池寛と文藝春秋の誕生 (文春文庫)

こんな小説形式、それも若い女性の一人称ででなくては描けないものとは何なのだろうかという謎から興味を持ったわけですが、結局は「文学界に連載し文春文庫に収められた」という“与する”論文でしかなかったようだ。こういう形式にしたのなら文藝春秋的な病理みたいな場所にまで行き着かなくては、作品としては失敗だと思う。
岸田秀「嫉妬の時代」を文春文庫で読んだ。あちらは「文春を主とするマスコミ批判」となっていて読者は唸り、そののち自らを含めた世相を多いに恥じた。だからね、そこまで切り込むための小説形式だとてっきり思ったのだけれど、そのような謎を見つけられずにいぶかしんだ。
ラストにでてくる新潮文庫の解説事件(吉川英治の名を借りて、文庫巻末に自分の限界を表したというわりと画期的なエピソード)は、これはでもいいことですね。ほとんどの文庫解説は現在のところ、読むに耐えない状況なのだし、こういう「自己を肯定的に批判する」というスタイルは現在もあるべきかと思う。ついでにいうと、わたしもこの文庫で菊池寛をはじめて知ったのではなかったかな。でも解説については覚えてない。
菊池寛のひととなりについては文壇的な功罪など知られているのだし「真珠夫人」のリバイバルなんていう事件もあったわけで、まあべつに初期短編などから人間的形成なんぞをいまさら抉り出しても意味ないかなと、読後感はあまりよくない。
つまりなんというのかな、これって猪瀬直樹的な自己弁護の手段であって「結局何も変わりませんでした」といわれることを回避するための予防線にしかなってない。とはいえ、道路族との戦いや副知事としての仕事など批判する気持ちはわたしにはない。どちらかといえば、もっと頑張ってほしいのだけれど“衆寡敵せず”という中では猪瀬直樹というパーソナリティは菊池寛的な日和見をしちゃうんじゃないかという危惧を、ちょっと持っちゃったって感じてるんだよ。