先月に続き購入したのは赤江瀑傑作選

禽獣の門 (光文社文庫)

禽獣の門 (光文社文庫)

偉いものだ凄いものだ、隠れた作家だがメジャーの輝きが…と、30年昔から思っていた赤江瀑だが、かつて昂奮した短編をこういう形で読み返してみて、少なからぬ(というよりは「大いなる」というべきか)失望も浮かんできている。
梶山季之結城昌治など、当時のサスペンス作家の筆致が、あまりにとろく弛緩し手いるようにしか見えないのと、ある種同じ作用かもしれない。90年代初頭に大波として押し寄せた大衆文学ルネサンスに全身強烈に波打たれた、読者たちはそれ以前の物語文学を再読できなくなったんだな。
序破急>でも<起承転結>でもいいのだが、性や背徳の了解事項が平坦になったおかげなのだろう、作者が提出したい“恐怖と官能との背中合わせ”であり不気味で甘美な作者の心の奥底というべき場所、つまり「物語の芯張り棒」が、最高に陳腐になったせいではあるだろう。
ただそれだけではない、プロセスの省略というのか、30年昔なら「一歩道を誤れ」ば、背徳の世界に行けたのに、現在ではなかなか数十歩すすんでもまだノーマルのうちだったりする風俗的な平坦さが、幻想や情念や罪深さをなかなか理解できぬ理由のように思える。
とまれ、こんな箍の外れた世の中を赤江瀑は望んでいなかったはずで、そういう意味ではルサンチマン小説みたいにしか思えず、そこらあたりが「乱歩全集」のポストモダンと勝負できない悲しみかもしれない。