篠田節子「百年の恋」集英社文庫 2007年1月25日刊

百年の恋 (集英社文庫)

すらすらすらとあっという間に読了。いや、中途に挿入されたメルマガ記事の部分は飛ばし読みした。何というのか飛ばしたほうがいいような気がしたせいで。
やっぱりわたしも男だから主人公が、自分を取り繕って書いているオフィシャルの文章はやっぱり痛々しくて読めなかった─というべきか。

まあ、何というのかただ男女のジェンダー逆転ドラマ、逆転以外の新機軸がほとんど何もないあたり(主夫たるべき主人公がセスナを操縦する免許を持ってるなんて目新しいが、考えてみれば着付けのプロとかパッチワークの達人が主婦になれば技術をもてあますようなもので、新婚生活に反映されないあたり、おんなじだったり)さばさばしていて、でもとても新鮮だ。
妻の浮気(というか郭公現象)を疑うあたりやすてきな啖呵を切ったカメラマンが、惨めな仕事をしている部分、奥さんが実母を嫌い、ついでに差し伸べられかけた援助の手が切れるのを唖然と見送る主人公とか、まあ全体は亭主関白肯定ドラマの裏返しみたいなシェチュエィションでしかないのだけれど、秋山泉子という主人公のボスたる女性編集者の「シャラップ!」でストーリーは引き締まりしゃれた教養小説として軟着陸する。

…前略
「うるさいんだよ。いちばん亭主にしたくないタイプね、あんたみたいな男」
真一は口をアングリ開けた。だれでもこの部屋を見れば、夫である真一の立場がわかるはずだ。
「出産に立ち会ったくらいで、大きな顔しないでよ。痛い思いしてるのはだれだと思ってるの」
真一は言葉もなく秋山をみつめた。この場に梨香子の生き霊が、秋山の体に憑いて立ち現れたように思えた。
「それは…母親になるための、試練というのか…それでかわいい赤ん坊を抱けるわけだから」
秋山は黙りこくった。重い沈黙だった。
…後略
 文庫286−287P

たしかに重い秋山女史の言葉ではありますが、彼女のいうところ“家父長制度の下で暴力装置として機能していた男という概念から男性が自由になること”(文庫297P)という意味で真一という狂言回し役はとてもいい味出しているけど、でもついに最後まで梨香子にジェンダーフリーを具現させることなしでストーリーが収束するわけで、となると本当にただの裏返し小説でしかないじゃんと、楽しませてもらったわりにきついひとことを返すわたしだ。
篠田節子の巧みなところなんですけどね、そこが。シェチュエィションドラマというのか、ある設定のなかでのコミカル・シリアス・パニックその他切り取り長編をアレンジする作業は的確で外れがない。ただし再読できるかとなると、ちょっとナンだけどでもすてきな大衆作家だと思います。
癌に冒され余命いくばくもない夫の最後の帰省に同行する妻を描いた短編。タイトルや書籍名を思い出せない。小千谷出身の夫の実家では、正月に超大量の蕎麦を打ち、一族で食べるんだそうで、まあ、へぎ蕎麦のことだと新潟県民は理解できるが、他県の人があれ読むと、ひどい偏見が生まれそうでとても楽しいです。そば嫌いな人だと出されたへぎ蕎麦見ただけで辟易とするでしょうね。