文藝春秋1月刊 白石一文 幻影の星

幻影の星

幻影の星

村上春樹は3.11の衝撃から「神の子どもたちはみな踊る」の続編を記すかもしれない。ああ、村上春樹だってフェラチオ好きで変なところで神秘的で、小説の素の部分でこちらとあちらとに優劣なんてないはずなのに《2月11日エントリ》田中慎弥評で、村上春樹の火事現場と比べ物語が平板だと記した。別に村上春樹の小説がどれほど優れているわけではないんだが、たとえばこの「幻影の星」の締まりのなさに押しつぶされちゃうと、物語や感動の質にどうしても言及しちゃうしかない。
ある種の幻想文学なので、作者としては地に足がつくよう地盤に強靭さを持たせようとし、もちろんそれが悪く作用し、下手なSF物みたいに物語を平板にする。なんだろな、ラストの野良犬が消えてゆく茫漠感など見事なのに、きっとその寂寥を引き延ばす術がほんの少し不足しているのだろう。
男女ふたりの主人公が時間の捻じれを経験するのだがわりと簡単にふたりともそれを受け入れ、それは両社ともパートナーから正常な性行為を禁じられている、不毛な愛を生きており過去への鮮烈な希求がある─わけじゃないよな、うーん、やっぱもうすこし小説内で生と死の因果の落とし前をつけておいてほしかった。