早川書房09年5月刊 平山瑞穂 全世界のデボラ

全世界のデボラ (想像力の文学)

全世界のデボラ (想像力の文学)

おもしろ怖くてぞっとする読書体験の「野天の人」。綾菜という名の主人公が、不細工で不揃いでこんなに気味の悪い“自分が生きている世界”を是認し、受け容れるしかないことを知ることになる思春期特有の不穏でいらつく不安な成長譚。
それをグロテスクにクローズアップさすため被差別民を蔑視する“世間”を闖入させ、またメタファーとして物語を終了さす“垣間見えた未来”として巨人の死体(父の死)からの遁走が物語をきつく締めていた。

綾菜は、十四歳になっていた。無邪気を通すにはすでに大人でありすぎ、こだわりを捨てるにはまだ若すぎる年齢だった。いったん喉に小骨が刺さると、抜けば楽になれると知っていながら、抜くことにためらいを覚え続けた。小骨のまわりには抗体が形成され、いつしかそれが鎧のように凝り固まり、肥大していく。息苦しくなって胸をかきむしっても、もう手遅れだ。そんな抗体のかたまりのようなものを体のあちこちに抱え込みながら自分が人知れず内側からなにものかによって喰い尽くされていくような気がして、怖気をふるうことが綾菜にはあった。

とはいえ綾菜の父は大学教授で学部長にもなろうという人物らしく、まあ別に大学教授が俗物だったり娘からけがらわしく思えたりするだろうが、でもそこはあなたステータスって自己肯定の大きな翼だしな。そのへんちょっと齟齬みたいだ。まあでも住んでる場所が都会っぽくなくみえ、きっとそれはそれでいいのだろうか。
ラストの「全世界のデボラ」も楽しい読書。“デボラの世界”を俎上に云々という作品では全くなく、エボラ出血熱の言い間違いだったりしました。

「何でしょう、それ。音を聞くだに恐ろしげですね。そんな病気あるんでしょうか。私、エボラ出血熱って<デボラ出血熱>だとばかり思ってたんですよ。デボラってなんだか怖い名前じゃないですか」
「いや、ごめん、わからない。それは君の個人的な感覚では?たしか旧約聖書に由来するヘブライ系の名前だったと思うけど」
「怖いですよ。デボラ、デボラ。ホラー映画で殺人鬼になって髪振り乱して復習して回る女の名前見たい。でもこんなこと言ったら失礼ですよね。デボラに」
「デボラにって、だれか特定のデボラを想定しているの?」
「特定のデボラじゃなくて、全国のデボラに。全世界のデボラにたいして失礼」

ああ、いや、いいSFを読ませていただきました。“配管デザイナー”とか“三つ子でもいるんですか”とかね。ラストにどうでもいいような暴力と死が平然と放置されて、ああ近未来なんだなと実感しました。
「棕櫚の名を」。筒井康隆で瓶に入ったオタマジャクシを縁の下に放っておいた…とか(タイトル失念─鍵をみつけて下宿先に向かうとか)の勝ちだな。「駆除する人々」ゲームになりそうですね。でも解決部分が不要。デボラ書く人なのに何これと呆れました。「均衡点」偽史モノとしてまあ面白かったがちょっとオチがらくちんすぎたか。