文春文庫08年9月刊 岸田秀 改訂版性的唯幻論序説 「やられる」セックスはもういらない

9年前(奥付前には1999年7月刊と)文春新書で購入した時は、むさぼるように読んだ記憶が。離婚して間がなかった頃だった、なにかそれって関係があるのかな。
感動したというかインスパイアされて投稿長編SF小説のバックボーンとしてつかわせてももらった。ま、落選でしたが。
文化庁長官の河合隼雄が文部省嫌いの岸田秀を当時のオンボロ文部省ビルに招聘し、ふたりしてミクロの決死圏というのか、現世を呪って気絶したまま悪意に満ちた思念派を無意識でふりまきつづける中年女性の脳内にシンクロし探検、彼女の思春期の悲しみに満ちた記憶を修復・再構築し終えて世界を救うという、ワハハ、書いてて情けなくなるが。小松左京のゴルディアスの結び目と岸田理論、箱庭療法の換骨奪胎小説でした。今にして思えば他愛のないリビドー論の水増しでしかないんで。
それはともかく、こちらあとがきで記してあるが“初版の2倍”の分量で“改訂版というより新著”となった本書。読み始めの感想は水増しというか弛緩した文章が続く。考現学というのか性革命のまだ最中なので、学者のレポートには相応しくない。
セックス関連のエピソードはこれからもタガが外れてゆくでしょうし、どこが地平かもまだ誰にも分からないだろう。エイズが蔓延する恐怖から新たな性道徳が出来るなんてイフもありえたわけだが、残念医学薬学の進歩でエイズを怖い病気じゃなくしてしまった。

6月4日 午後8時6分 友達ほしい。同7分でもできない、何でかな不細工だから、終了
5日 午前5時10分顔だよ顔、全て顔、とにかく顔、顔、顔、顔…
加藤智大の携帯掲示板書き込み抜粋

最終章の「性交は趣味である」を秋葉原殺傷事件犯人が読んでいればね、読んでも駄目か、そういう問題じゃないか。でもいまぼくらは過渡期に生きていると客観視できればもひとつ高みに行けたと思うが。