集英社文庫08年7月刊  篠田節子 聖域

聖域 (集英社文庫)

聖域 (集英社文庫)

この作品は1994年4月、講談社より刊行されました

と奥付の前のページに。そういうことで、オウムの前年ですか、中途で教団の本部に潜入しそこを追い出される顛末などプレオウムならそれはけっこうかっこいい仕事じゃないか。全般に時代風俗などあまり気にすることなく読み進めた。
三木清敦という著名作家が物語を進めるうえでのキーマンというか失踪した水名川泉へ連なる道標となるわけで、さあ彼の原体験ってなんだろうかと考えていたら軍隊体験者という設定で、つまりは15年昔の作品としてもぎりぎり計算があうかあわないか。野坂や五木の上の世代だし。大正15年生まれの山口瞳が従軍経験者で、ま、その世代ってことですよね。そのくらい戦争も戦後も遠くなった。どうでもいいが一昨年の乱歩賞が「東京ダモイ」(未読)で、シベリア抑留関係者が60年後に鉄槌だの復讐だそうで、小説の出来はしらぬが、状況など鑑みるにやっぱりご苦労というしかない。松本清張全盛期が戦争の記憶で殺人云々がそうとうリアルだったわけだが、でも実際に戦場や軍隊生活での復讐のために殺人ってのはあったのかな─少しはあったんだろうけど。
ま、それはともかくこちらの小説。冥界との通路などというものは存在せず、被験者の記憶中枢を揺さぶるだけのことなのだよと、著者はイタコの超能力を一応は否定し、でも千鶴という主人公の恋人の魂を完全に否定はせずに、社会常識的には“破綻”という烙印を押された主人公が「聖域」の決定稿を手に入れて小説は終わるわけです。
毎度のことだが、著者の物語を紡ぐ能力の高さは確かなものだ。主人公が余りにひとりよがりで勝手に堕するみたいにしか読めないあたり、読後に不満ではあるが、小説として面白いという事実が、それら欠点を無視させ、読後感はけっこうよかったりする。