文藝春秋 2013年1月刊 恩田陸 夜の底は柔らかな幻 上・下

夜の底は柔らかな幻〈上〉

夜の底は柔らかな幻〈上〉

うま味成分がまったく不足の読後感だった。とても危険で邪悪だけれど美味くて甘くてとろけるような文学の罠というか毒というか闇というかどろどろしたもの、それがあまたの読書の喜びかと断言はできないけれど、まあその一番おいしい危険な部分がスカスカなんだな、それって何なの?作者がストイックなのか自主規制なのか、それともわたしのような下品な読者を措定していないのか、残念。
冒頭部分で思い出すのは筒井康隆「七瀬ふたたび」、入国管理官の目を逃れる緊張感は悪くないのだがラウンジ(ビュッフェ)での活劇シーン、ドキドキしないんだ書き割りみたいでサスペンスがどこにもない。七瀬は列車の脱線と大勢の死は描かれない、描かなくていいんだそれでハラハラさせられるんだから。
爺さんと子どもが飛び降りるシーンはただの説明文で脱力ものだが、そのあとの駅到着のシーンはいいです、主人公の緊張と入国管理官のクーデタシーンが絡むあたりでちょっと発火しかけるんだが、ところがそこで求心力がすとんと落ちる、エスパー自慢やら過去のいざこざやらがどさりと表出されただけ。後はもう退屈な読書。帯に“殺人者たちの宴が…”とか記していても、ちっとも恍惚めいた恐怖も不気味もおどろおどろしさも出てきはしない。
ストーリーに関して、辺境の地途鎖(土佐?=高知県?)の“山”で思春期を過ごし超能力と憎悪のパワーが並外れた3人の超能力者による殺し合いがメインストーリーなんだが上・下2巻の長さのくせに物語が自ら巻き起こす力が弱く読んでいても楽しくならない。
野菜売りのカムフラージュとか超能力者の脱獄とかとてもすてきなイシューはあっても、全体が大きなうねりとなることもなくフラットな流れなんだな。エスパー3人の殺し合いという設定が間違っていたのでしょう─やっぱ《宝の隠し場所・奪い合い》とか《入管vs.警視庁vs.傭兵》の遠交近攻とか騙し合いとか、そういうエンタテインメントがそうとう不足だったのではないか。
メインの3人だけではなく、女主人公も彼女に付きまとう男もエスパーでそんな超能力者同士が殺戮繰返すのだったら、僕らには半村良「妖星伝」がある。40年近く昔の伝奇小説だけれど、パワーも読みごたえもこちら全2巻を呆れるほどに凌駕している。せめてそんなちょっと昔のエンタメ小説くらいはクリアするほどの気概がほしかったですね。
“隔絶した辺境”みたいなので頭をかすめたのが岩井志麻子の「現代百物語─悪夢」中の第49話「村のしきたり」というやつは恐怖と官能がたった2ページに詰まってたなあ。

…前略…
つまり村人は全員その子孫って訳です」
未だに、その十軒の身内だけで婚姻が繰り返されているという。
「もうすぐ夏祭りでしょ。お盆には、村だけのしきたりがあります。村の若い男達が先祖の武将の格好をして、各戸を回るんです。その格好や大声が怖くて、子供はみんな泣きますよ」
…中略…
「彼らは村の女みんなとまじわる。そう、ヤルんですよ。おばあちゃんとも子どもとも。さすがに、赤ちゃんや病人は許されますけど。
わたしも物心ついたころからヤラれてて、それで何度か妊娠しました。最初の子を産んだのは、十三のときでした。私、故郷に三人の子どもいるんです」
話があまりにも思いがけない方向にいってしまい、どう答えていいものか困った。
…後略…

岩井志麻子、何と2ページで恩田陸上・下2巻を瞬殺したった、でもあの「現代百物語」って書き下ろしだったのね、週刊誌とかの連載かと思ってました。