ハヤカワ文庫 06年5月刊 谷甲州 エミリーの記憶

エミリーの記憶 (ハヤカワ文庫JA)

エミリーの記憶 (ハヤカワ文庫JA)

興味を持って購入したのだけれど、曲折あって読めずに放っておいた一冊。手に取ったけど巻頭の短編がどうにも読めずに悪戦苦闘してそのまま諦めた。もっと美味しい作家だったのになと不審に思ったのだが、あとがき読んでその不審の理由を納得する…ってのも変な話だが、著者いうところの“SF冬の時代”の薄ら寒さを実感したってところか。

…ただし掲載にあたっては、全面的に改稿した。89年あたりにかかれたものはともかく、フルタイムになったばかりの86年や87年ごろの作品など、いかにも下手糞でとても人前に出せる代物ではない。…
…中略…
「逝きし者」86年10月号
フィリピンから帰国して書いた最初の作品。それ以前はフルタイムではなく、ほかに本業を持っていた。つまりこれが完全なプロとして書いた最初の作品になるわけだが、当時の雑誌を読み返してみたらこれがいちばん下手糞だった。がさがさと手をいれたのだが、あと何年かしたら「手をいれてこの程度か」と嘆くことになるかもしれない。
…あとがきからそのまま文庫版あとがきへ…

クーデターの予感に満ちた土星の衛星植民地で、犯人探しに奔走する老刑事と若い婦人警官のスリリングでサスペンス溢れるSFミステリ長編(タイトル失念、このミスランクインの一編でした)を書いた人とは思えませんでした。
まあ、最後の作品まで読み終えはしたが、やっぱり谷甲州は長編作家なんだね。「過去を殺した男」「子供たちのカーニバル」など枝葉をととのえ、キャラクターをそろえたなら心理サスペンスやホラーとして、悪くない長編小説になったかもしれない。短すぎたせいで両者とも無理やりの謎解き・オチで興が殺がれた。
「宗田氏の不運」ってこれはおかしな読後感だな。いじめられ小説の新機軸というわけでもない、賭金総取りっていうほうが正解か。


宗田氏は答えなかった。得をしたような気もするが、なんだか損をした気分のほうが強かった。(了)

という結末だけれど、だれがどう考えても損をしてるでしょ。少し早く死んだおかげであの世から、地獄絵図の現世をのほほんと見られるってことかも知れないけれど、まあそれはともあれ死んでしまってはどうしようもないって、こんなわたしが言ってもどうでもいいことだけど。