石丸由佳オルガンリサイタル 2011年2月13日(日) りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館コンサートホール

昨日のコンサートを聴いてきました。大きなパイプオルガンでのソロコンサートを聴くのは初めての体験でした─と話すと、会場まで迎えに来てくれた妹は「いくつか(新潟の)教会でもパイプオルガンあるんだよ」とわたしの無知を憐れみつつ教えてくれました。そーなんだ、巨大な施設にびっくりしたわたしが間抜けか。みんな文化に浸ってるんだな。
とはいえりゅーとぴあの大きなオルガン、新潟に帰ってきて11年、全くその音色を知らなかったというのもはずかしい話。今後のわたしの課題としたいです。山本真希さんという専属オルガニストがリサイタルを開いているというりゅーとぴあ。探求してみたいです。

というわけで昨日は石丸由佳さん。新潟市出身というより市立鳥屋野中学卒ということは本当にご近所の方なのです。ぜんぜん親類でも一族でもなく、もちろん面識もないですが、それでもこちら俄然インチメィトな気分になります。
そんな理由で、知りもしないオルガンコンサートに関してちょこっとレビューを。りゅーとぴあの大ホールはほぼ8割の入り。若いオルガニストの凱旋コンサートを力づけるものになってよかった。鳥屋野中学・新潟高校出身という石丸さんですので、同級生が応援に訪れたのでしょう。家族連れも多くみえたのはわたしの知らないうちに新潟が文化都市になっていたせいでしょう。
まずは驚き。オルガンという巨大な楽器って、ぜんぜん音が伸びないんですね。そういえば昔からオルガン曲ってトレモロが多用されていてどうしてかなと感じていたんだが、そうしないと音がぶち切れになるんだな。だからあれだけ多くの鍵盤やペダルを常に押していないといけないみたい。しんどそうだし、ペダル踏むのは足だけでなく下半身全体を伸ばしたり動かしたりせねばならず、そこに精魂を込めるのは難事だとはわかった。
プログラムにはわたしの知らない現代作家の作品が二つ入っており、その二曲とも解釈が難しげではありました。でも何だかおかしなとっかかりが…。アラン、幻想曲ではキース・エマーソン。ギユー、トッカータではリック・ウェイクマンだとかトニー・バンクス(懐かしい)の名曲の奏法を連想した。ロックの荒涼もそれは西洋音楽の系譜にきちんとおさまるのですね。日曜に教会へ行き、オルガンの調べで平均律を知る。コンテンポラリーで不安定な旋律と不協和音が奏でられているとき、不意にキーボードにナイフを落とすハードロッカーの影がよみがえったおかげで、わたしにとってはとても親和性を感じた。
演奏の技法によるのだろうけれど、音響の上下左右というのかステレオ効果が強く感じられる演目があり、瞠目する。オルガンが歌い出す瞬間みたいな、何か小さいけれどオルガン観賞上の粒みたいなものの存在を何度かかすかに感じられて、とてもうれしかった気持ち。ただし、わたしの感じなのだがバッハとオルガン(もしかしたらりゅーとぴあのオルガンの特性と)って相性が悪いんじゃないかという思いを少し持つ。その不安が奏者の技量のせいであれば仕方ないことだけれど、なんだか譜面が機材に追い付いていないのではないかというような不審感を演奏の時々で感じちゃったな。何というかバッハは弦楽のほうが安心なんでは。
演目を終え、マイクを使いソリスト石丸由佳さんの挨拶があり、その初々しい声とそれ以前の全身を投げ出すように駆使する演奏家の姿とのそのギャップがまた嬉しくなる。こりゃなんだね、若くてとびきり美人である地元出身オルガニストの門出を、こりゃ応援しなくてはいけないではないですか。
当日は、TVクルーが入っていて、たしか会場内にはテレビ番組として取り上げられると記してあったのだが、確認するのを怠りました。残念だが、見つけたら録画しましょう。なにしろとても充実した時間をもらいました。