文藝春秋 佐藤優著 私のマルクス

私のマルクス

私のマルクス

“鬼才・佐藤優の根幹を形成した若き日の回想”とカバー裏に記してありました。鬼才ねえ、パゾリーニとか神代辰巳とか、巨匠とはいわれぬひねくれ映画監督をそう呼ぶのかと思っていたんだけれど、怪訝でした。わたしより5歳年下の鬼才。わたしが大学1年のとき「大地の牙」三菱重工爆破事件。あと内ゲバは盛んでしたっけ。
まあ、なんだかお勉強して学生運動でお酒を飲んで、そうかそういう青春もあるのねとちょっと鬼才より地味でふがいない、痛快なところのひとつもないような語ることなき大学時代を送ったわたし的には、このほんのあちらでもこちらでも憮然とため息つくしかないです。

「実は、君に忠告しておきたいことがあるんだ」
「何だ」
「君のカリスマ性は危険だと思う。だから神学部はもとより少なくとも近未来は大学教師にはならないほうがいいと思うんだ」
それに続けて、斎藤君はわたしの心臓を突き刺すような話をした。
「私のマルクス」より13「襲撃」最後の数行

土左衛門─武左衛門こと当時の同志社学友会中央常任委員長兼商学部自治会委員長の斎藤啓一郎と酒席での会話みたいな場所でのやりとりを鬼才は2つの章に切り分けきわだたせる手法で提示する。まあ何だ、この自伝の白眉ってわけね。青春期の鬼才が自己の“真の才能”を知るシーン(続き)をどうぞ。

斎藤君は「実はこのことについては君に言わないでおこうと思ったのだけれど」と前置きをして紘続けた。
「君のカリスマ性は危険だと思う。神学部の周囲を見てみろ。みんな君の崇拝者ばかりじゃないだろうか」
「そんなことはないよ」
「それじゃ、いつもアザーワールドにたむろしている連中で君と違う意見をもっているやつがいるか」
私は、神学部自治会常任委員の名前を何人かあげgた。
「じゃあ聞くけれど、その連中は最近、読書会に参加しているかな。それから君といっしょに飲み歩いているかな。そういった連中といっしょにメシを食ったり、コーヒーを飲むことがあるかな」
「…」
たしかに思い返してみると、私が名前を挙げた神学部の学生運動活動家とは、喧嘩や対立をしているわけではないが、疎遠になっている。私は「特に神学部の連中を囲い込んでいるつもりはない」と答えた。斎藤君は続ける。
「君が囲い込んでいるわけじゃないんだ。周囲から君に引き寄せられてくるんだ。僕自身がその一人だからよく分かる。
…後略。14「なぜわたしはいきているか」冒頭の1ページ。

というわけで、そういう方が政治家なんぞにはならずインテリジェンス方面で地道な公務員として活動していたことは、それなり慶賀すべきことだったんでしょうが、まあそれはともかく彼のカリスマ性が結果的には警察沙汰を招いたのかな。Wikiのリンクを貼っておきましょうか。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E5%84%AA_(%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98)

とまれ、早すぎる自叙伝は今後実人生において多くの面倒や齟齬を生ずることにならぬかと、自伝を書くネタもない初老は勝手に心痛めております。「国家の罠」を読んでないわたしだけれど敵には回せぬタマのようでした。「テロリストのパラソル」はまあ例として不適かもしれないが、学生運動の過去が現在を投影するミステリーは今後、そこそこ出没する気がするのだけれど、そんな時の参考書としてこの本けっこう利用できそう。