角川ソフィア文庫09年4月刊 ビギナーズ・クラシック日本の古典松本市壽編 良寛 旅と人生

歌い踊り、恋もした!?と帯に記されていて、なにこれ民コロのスローガンじゃん。折々の歌・けさひらく言葉みたいなのが新潟日報にもあって朝刊では良寛さんを一昨年から(だったか?)紹介している。

梅が香を 麻の衣に つつみては 春は過ぐとも 形見とならむ
梅のほのかな甘い香りを、この粗末な麻の着物にそっと包んでおくことができたならば、たとえ春が過ぎたとしても心躍る春を想起させてくれる品になるだろうに。  全国良寛

2010年4月3日朝刊に載った良寛さんの歌です。俳句だの漢詩だの警句みたいのとかを日々載せていて、まあとても暇だったりすると読むほどの関心です。新潟県人ですので良寛さんの伝記みたいなものを一通りは知っていて、小学生の時には国上山の五合庵に行ったこともあるわたしですが、ほとんど興味なんてなかった。

真贋
先年、良寛の「地震後作」と題した詩軸を得て、得意になって掛けていた。何も良寛の書を理解合点しているわけではない。ただ買ったというので何となく得意なのである。そういう何の根拠もないうかうかした喜びは一般書画好き通有の喜びであって、専門家の知らぬ貴重な心持である。或る晩、吉野秀雄君がやって来た。彼は良寛の研究家である。どうだと言うと黙って見ている。
地震というのは天明地震だろう」
「いや、越後の地震だ」
「ああ、そうかね、越後なら越後にしとくよ」
「越後地震後作なんだ」
「どっちだって構わない」
「いや、越後に地震があってね、それからの良寛は、こんな字は書かない」
純粋な喜びは果敢無いものである。糞ッいまいましい、又、引っ掛かったか、と偶々傍に一文字助光の名刀があったから、縦横十文字にバラバラにして了った。
「よく切れるなあ」と吉野君は感心する…以下略
  小林秀雄 真贋 最初の部分より

鑑定団で大恥をかく小林秀雄はともかく、まあわたしにとって良寛さまなんて、書画骨董ほどの知識でしかなかったわけでそれもあんまりだと、ほぼ1年前に新刊で出た文庫を購入詩、時々眺めたりしている。短歌に関しては子規の革命以前のそれは、もうほとんど時候の挨拶ほどの意味でしかなく評価不能で(上記新潟日報の歌もね)文芸としての価値はないけど、俳句のいくつかには実作者がビュワーとして登場し、ときどき恐れ入ったりもする。
でも、わたしのように五合庵に詣でたことのある人は、まさかあそこに泥棒が入るという道理がわからない。作為なのか物語なのか?まあ、もちろんそれもいいけどさ。

盗人に とり残されし 窓の月