新潮文庫3月刊 志水辰夫 つばくろ越え 蓬莱屋帳外控

つばくろ越え―蓬莱屋帳外控 (新潮文庫)

つばくろ越え―蓬莱屋帳外控 (新潮文庫)

ぜんぜん江戸時代の小説になってないですね、だがしかし志水辰夫の技法ではそれが苦にならないって、こりゃ読者として困るな。各中編の主人公の思考がもう近代人で、近代のドラマが展開し江戸時代っぽさなど強引・傲慢に無視してストーリーは動き止まらず、シミタツ節の骨頂である“悲しい思惑・重い痛み・とめどない苦悩・過去への悔恨”などが体中から噴出する。
実は著者最初の時代劇である「青に候」は出だしで躓き読みそびれた。なんだろう主人公が青江叉八郎にダブってみえ、だったら読む必要なさそうだと興味がスッと消えてしまった、もしかするとドラマやストーリーなどシミタツならではに変化したかもしれないが、まあ出会いってそういうものだしね。志水辰夫に関しても「情事」だっけ、あれ以降は新刊を追わなくなり、文庫で出た「青に候」も“何だかなあ”というような疑問符付きで購入したんだっけか。まあこのたびの「つばくろ越え」で、志水辰夫ストーリーテリングはちっとも変っちゃいないことは理解し、それをシミタツ節と理解していたわたし(解説者の北上次郎は文章のリズムのみを〜節と解している)にはとても素敵な物語、そのまま全部を現代に移せないかと読み終えてから考えたが、“飛脚の金の強奪犯一家を勝手に殺す(つばくろ越え)”だったり“駆け落ちした医者が逃亡先で治療する(ながい道草)”とか“女衒を殺して金を奪った男が不治の病をおして故郷に帰る(彼岸の旅)”とか、まあ時代劇だからできる状況設定かな、もしかするともういい年齢の著者だから事件を現代に設定し描くことに疲れたとか躊躇してるとかかな、残念だが衰えた著者をみたくはないし、こういう立ち位置を得たことで「帰りなん、いざ」や「行きずりの街」のリリシズムをまた提出してもらえるのなら、わたしは充分嬉しいです。「引かれものでござい」「待ち伏せ街道」と続編があるようなので、文庫になり次第読み進めてゆきたい。