角川文庫 10年2月刊 宮脇灯子 父・宮脇俊三への旅

父・宮脇俊三への旅 (角川文庫)

父・宮脇俊三への旅 (角川文庫)

知人に勧めうる著作を当人に訊ねた娘に、晩年になった2万キロの著者が答える。

…前略…
「『時刻表2万キロ』『時刻表昭和史』『殺意の風景』が御三家だけどね」
と、珍しく仕事をしていたらしき父は椅子から立ち上がり、自分の初版本を発行年月順に並べている書架の前で言った。知人が頻繁に海外に出ると話すと「『シベリア鉄道9400キロ』の船がしけで傾くところの描写は圧巻だ」とか、「『インド鉄道紀行』もいいが、ある新聞の書評欄には『この作者は本当のインドを旅してはいない』なんて書かれた」と言い、不服そうな顔をした。
…中略…
書斎を出ようとすると、四十冊を超える著作の、ちょうど真ん中あたりに位置する『中国火車紀行』を指して言った。
「この本から以前に書いたものはみんな面白い。でもここから後のものはいまいちなの。それはね家を建て替えて、書斎が新しくなってから書いた本だから」
…後略…
 1 父の手土産 遊び場がわりのパパの部屋 20ページより

わたしもその“イマイチ”を体験してます。80年代後半でしょうね、韓国鉄道旅行中、ホテルマンがポン引きだった異常体験はどちらの半分だったのでしょうか、まあいいけどフリーになった宮脇の大病をきっかけに奥さんが自宅を改装(家賃収入を得るため)し、最上階の日当たり良い場所が書斎になったのにその健康的な仕事場が逆効果だったという逆説(というか、その大病が衰えの引き金だと思うけど)が、はじめの方に書かれていたのは構成上よかった。本の後半ではアルコール依存症で衰え死んだ、宮脇の老いと死の陰惨なダンディズムが肉親の慎み深い筆致で描かれていてファンだった身としてはそれなりにつらく読み応えはあった。通夜の席で志ん生の落語を流したとか「鉄道院周遊俊妙居士」という自作(ちょっと直した)の戒名とか「終着駅は始発駅」と彫られた墓石脇のモニュメントとか、事務的な宮脇家の事情なども、知ってよかったという風な筆で書かれておりました。
宮脇俊三の作品はとても好きでした、「時刻表2万キロ」「最長片道切符の旅」「線路のない時刻表」かな、好きな作品は。国鉄時代の矛盾をはらんだままの3作品ということか。清水港線の混合列車とか福知山線尼崎港駅へ行く途中、何かの縁で女性と会ったけど話がはずまなかったとか、鶴見線のあいまいさ筑豊や北海道の野放図な鉄道図の暗澹、計画線の渇望と絶望など国鉄の暗部をえぐる一歩手前で諦念を描く塩味はそれなりに空しく美しいものでした。というわけで、氏のイマイチの原因の一つは国鉄からJRへの移行と並行していたようであるかもしれません。

新潟美少女関連は

今日の新潟日報スポーツ面に、昨日行われた京都女子駅伝「快挙11位」という大きな記事があったのだけれど、ま、大きすぎてカットします。健康的な少女の脛の画像は小さいながらも新潟日報WEB版に載っていたので冒頭に転載いたします。キャンプションには固有名詞もあります。

新潟の6区横山(左)が7区原沢にタスキつなぐ=15日、京都市内の第6中継所

6区横山みわは4人抜き、7区原沢萌加は順位をキープ、両者とも新潟明訓高校で年末の高校駅伝走者ということでしょう。