文藝春秋 3月刊 円卓 西加奈子

円卓

円卓

ちびまる子ちゃんも小学3年生で、こちらのこっこも小学3年生。わたしにそこそこ自我が確立したのも小学3年くらいか、それ以前だとちょっと記憶も曖昧だったり、後付けの記憶だったりしている、でもそれくらいのうわの空的な想いが少しうれしいけどさ。。
わたしがそうだったからこそ、何というのか記憶のねつ造みたいな部分はやるせないな、この小説だとぼっさん、ちびまる子ではたまちゃん…たまちゃんは許してもいいかな、あれくらい利他的な行為・言説の子どもはいますか…、でもぼっさん。ぼっさんみたいにリライアブルでイマジンな小学3年生は存在しない。よって当小説はギルティ、有罪だ。
琴子も、三つ子の姉ちゃんも母親もが美少女美人とは何ぞや、中学2年生で三つ子で美人なんて設定がおかしいぜ、へんな顔の三つ子ではいけなかったか、これも有罪に近いというか設定として一家して美人でなおかつ貧乏なんて、やっぱりおかしい─というわけで、まあ童話としても一般人の読み物としても「無理があるなあ」という読後の感想です。病苦や孤独にヒロイズムを感じる小三主人公ってのがまあ何だかわかるんだが、でもおまえんち貧乏だろ、貧乏って充分マイノリティやんか。そこのところの屈託をかんじさせないこっこはたぶん自分の美少女度をわかっている。
金持ちは、お妾さんに朝鮮人という図式もあまりというか、普通にすごいんですが。