森まゆみ 彰義隊遺聞

彰義隊遺聞 (新潮文庫)

彰義隊遺聞 (新潮文庫)

労作。ただし読み終えても、もう一つ蒙が晴れる清々しさや読書の喜びなどまで感じられなかった。読みにくさというかまだるっこしくて、読者の心にまでドラマが入ってこない。
全編中、もっともわたしが興味を持った人物は寛永寺の第十三法親王(最後の住職)です。朝敵として追われる身になったが公家出身ということで、後に許され維新後還俗。ドイツ留学後に軍人となったそうだ。日清戦争後に近衛師団長として台湾征討中、現役のまま疫病で死亡だそうです、Wikiでみるかぎりけっこうすごい人生だ。法親王時代の名(?)は公現。還俗後は北白川宮能久親王

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E7%99%BD%E5%B7%9D%E5%AE%AE%E8%83%BD%E4%B9%85%E8%A6%AA%E7%8E%8B


鳥羽伏見の戦い後、最後の将軍徳川慶喜寛永寺を去ってから彰義隊の“守護すべきシンボル”となり、上野戦争で敗走後は奥州列藩同盟に身を預ける。仙台藩天皇になりかけたり、ドイツ留学中にも色恋沙汰だそうで“波乱万丈”を地でいったお方のようです。
そんな寛永寺輪王寺宮公現法親王幕臣に乞われ、慶喜の助命嘆願のために静岡まできていた官軍の総督府で司令官(?)たる有栖川宮熾仁親王に軽くあしらわれたらしい。そのせいで、公現法親王ったらへそを曲げ、負け戦を承知で寛永寺を去らなかったと第五章で記してある。
まあ、そんなふうに興味しんしんの人物ではあるのだけれど、この人物に関する情報がひどく細切れなんだなあ。四章のインタビューで軽くふれられ、五章では人となりを知らされぬまま静岡行きから“へそを曲げる”あたりだけが唐突に語られ、そのあたりのストーリーを読者はよく分からないまま、十二章でおかしな家系図を読ませられるのです。

…じつは十、十一、十二代の輪王寺宮様はみな有栖川家の出身である。
ややこしいが我慢していただきたい。十代の自在心院舜仁法親王有栖川宮第六世織仁の子、つまり十二代家慶の室楽宮や、水戸斉昭の室登美宮の兄にあたる。十一代の公紹法親王
…(我慢できず中略)…
水戸家、徳川家、有栖川宮家、そして上野輪王寺宮には、このような三つ巴の縁があるわけだ。このややこしさを理解すると…
       第十二章 輪王寺宮落去

公武合体やら、一橋家、水戸徳川家などあちこち養子縁組がくんずほぐれつで、家系図のどこを読めばいいのか皆目わからんし、だいいちちっとも上野戦争の説明になってはいない。大体この十三代目の公現さまって、その縁のどこに連なっているの?十二章のラストに今までどこにもでてこなかった小松宮なんて公卿がでてきて「実は東征軍の総督である」なんていわれて輪王宮の実兄だってネタばらしみたいでも、結局なんだか分からなかった─じつは著者もよくわかんなかったりしてね。
各章の主人公たち、山岡鉄舟、伴門五郎、天野八郎輪王寺宮を助けた湯屋の佐兵衛、彰義隊戦死者を埋葬した三河屋幸三郎などすてきな面々の列伝として、また庶民からみた災厄なり戦のようすなりをわたしもそこそこ楽しく読んだわけですが、でもだからといって幕末の江戸風景を理解したような気分にはぜんぜんなれない。ここらでもっと大衆小説を!と、無駄な雄叫びを読者としてはあげたくなりました。