文藝春秋10月刊 ウォルター・ルーウィン東江一紀=訳 これが物理学だ! マサチューセッツ工科大学[感動]講義

これが物理学だ! マサチューセッツ工科大学「感動」講義

これが物理学だ! マサチューセッツ工科大学「感動」講義

いつもわたしに多くの叡智や知的な驚きを与えてくれる碩学っつうか賢者finalvent氏が「極東ブログ」10月19日付でレビューを記している。フッターにアドレスはありますがまあこちらから直接行けたほうがいいか。

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2012/10/post-0ff6.html

ルーウィン教授はX線天文学の分野で最先端の発見をしてきた人のようで、そういう人から天文・宇宙の最前線に関する話を聞くのはとても有意義なのだが、でもそれと同じ視線で物理の基礎というのかストローの実験(水圧関係)とか、カバー画になっている鉄球の実験とかごめんね、そういう基礎の物理学に関して知らないくせにわたしって、ちょっと引いちゃうんですよね。でもそのくせナチスに脅えた教授の少年期や、MITに招かれた壮年期とか、そういうエピソードにはワクワクしちゃいますよね、なんて文系おやじなんだ。

…前略
わたしは物理学において測定が重大な役割を担うと考えているので、測定によって実証できない理論には疑問を抱いている。例えば、ひも理論や、さらにそれに磨きをかけた超ひも理論、言い換えれば“万物の理論”を追求する理論家たちによる最先端の研究だ。理論物理学者たちの中には、ひも理論を扱う非常に優秀な学者が何人もいるのだが、彼らはまだひも理論の命題を実証するための実験ひとつ、予測ひとつすら思いついていない。ひも理論では何ひとつ実験的に証明することができないのだ…少なくとも、今のところは。
…後略
 第2講 物理学は測定できなければならない

なんだそうですが、でも教授たちみたいな“実験屋(ノーベル賞小柴教授が自らをそういってた)”ってそういう仮説をどうにかする(か却下する)ためにいるわけでしょう。なんだかその仮説をバカにするようなこの物言いはいかがなものか。まあでももちろんとてもためになる読書でしたよ。
高校生の時あれでしたね、こういう先生がいたんだ。加速度の測定で斜めのレールにビー玉をガラガラ落とすことを繰り返させる老講師。ガンの治療でちょっと口元がおかしくなったというか呂律が回らないみたい、まあハゲだしひどく老けて見えたし。それでもって小学生みたいな実験の繰り返しで、優等生どもがキレちゃったんだね、相対性理論だの不確定性原理だのシュレーディンガーの猫だの物理学の最前線を学びたい彼らなのにビー玉転がしはないだろうってふうに抗がん剤でよぼよぼの爺さんに食ってかかってなんだか授業ボイコット寸前みたいな険悪な雰囲気がそうとう期間続きました。時は“宇宙エンジン”とほぼ同期、その年の早春あさま山荘事件と総括事件とがあったし“if もしも”や“いちご白書”の映画があったりまあスチューデントパワーの時代だもの、周囲も一緒に騒ぎたてたりでしたが、こういうルーウィン教授ですとかでんじろう先生とかの存在を知るなら、もうちょっと僕ら辛抱して授業受けてたら新展開があったのかもしれませんね。ま、その爺さん講師の名前忘れたけど、氏もいろいろバックボーンやそうでなければ東京大空襲でのエピソードなと持ちあわせていたならわたしたちも感動授業を受けられたのではなかったか─いまさらどうでもいいけど。