創元推理文庫 9月刊 ヘニング・マンケル 柳沢由美子=訳 ファイアーウォール

ファイアーウォール 上 (創元推理文庫)

ファイアーウォール 上 (創元推理文庫)

警察小説ですので、ネタバレという概念があるのかわからないが、まあエピローグで記されることまで、こちらで記しているという意味で「ネタバレ注意」です。

訳者あとがきでヴァランダーの勤務する警察署があるイースタという市の規模について記してある。

本シリーズの中心であるイースタはバルト海に面するスウェーデン南部の小さな田舎町で、この作品が書かれた1990年代中ごろは人口約2万5千人だったが、海外からの移民の受け入れなどで2010年には2万8千人に増えている。イースタの町は16世紀から栄えた港町で…

まあその程度の市の警察署で連続殺人が幾度も続き、このたびは連続殺人の規模は小さいが国際的な経済ITテロの舞台となる。なんだかちょっと無理がきつそうですよね。だいいち警察署の規模とかも気になるわね、検察と隣り合わせの庁舎だそうで新潟県でいえば新発田とか三条とかの地検支部か、村上とか十日町とかの区検規模なのか、まあいずれにしろ小規模警察署というくくりだろう。中途で警察機構の改編云々が話題に出ているのだが、マルティン・ベッグシリーズでは殺人課の刑事が異動したりしていた(スカッケ刑事がマルメ署でモーンソンの部下になったとか)のだが、そのへんちょっとわからない部分もある。まあ、国の規模も違うんだけどね。
上・下2巻の小説で最後まで読ませはするが、物語としては破綻している。訳者あとがきでは触れられていないので、まあ小説としては許される範囲内の齟齬なのか、でも長い長い蛇足のようなエピローグが必要だった(説明不足を補っている)ということで小説内での着地に失敗したことを作者は白状している。
上・下2巻の内容をひとことでいっちゃうと「世界経済をクラッシュさそうと企んでいた男が発作で死んでしまい、その後始末に失敗しちゃった仲間の物語」ということか。ちょっと違うが泡坂妻夫の「乱れからくり」のメイントリック「死者(に偶然なった人物)による殺人」をすこし思い、だったらもすこし切れのよい分かりやすい作品になったはずと思う。
下巻“25”の冒頭で作者はちょっとばかり物語全体をワイドで語るのだが、これが変だ。

のちに、ヴァランダーはその日の午後アン=ブリッドの話を聞いたときに生涯で最大の間違いを犯したと後悔することになる。ソニャ・フークベリにはやはりボーイフレンドがいたという話を聞いて、なにかがおかしいと気が付くべきだった。アン=ブリッドが見つけたのは話の半分だけだったのだ。そして、半分だけの真実は、まったくの偽りに変わり得るということは、ヴァランダー自身経験からよく知っていることだった。
…中略…
この過ちに、彼らは高い代償を支払わなければならなくなった。気分が落ち込んだときなど、ヴァランダーは、自分のせいで一人の命が失われてしまったと思った。あるいは、もっと最悪の事態を引き起こしていたかもしれないと思った。

そのあとを読み進めてみてもその“生涯で最大の間違い”というものがわからない。前作でヴァランダーは無辜の少女を眼前で殺されてるし前々作ではアン=ブリッド・フーグルンドが重傷を追っているし、両者とも最大の間違いに近いようだがな。ストーリーからはボーイフレンドが惨殺された(生きたまま回転軸に放り込まれた)ことを指しているらしいが、早くに青年の素性を理解し逃亡先で拘束し証言を得れば“世界経済をクラッシュさそうとしているアンゴラのカーター氏”を特定でき後半の活劇は不要だったとなるかもしれぬが、たぶんアンゴラにまで警察機構とかは及ばないだろうから“カーター氏の死”はなく本当の意味での大団円とはならず、だから生涯で最大の間違いというほどのことではなさそうで、読者に対し無用な混乱を提供しただけのように思う。
ストーリーの概要は最初に記した「世界経済をクラッシュさそうと企んでいた男が発作で死んでしまい、その後始末に失敗しちゃった仲間の物語」がメインで、その周囲に19歳少女の殺人とヴァランダーという主人公の捜査のゴタゴタが絡むというものなのだが、発作で死んだ男についてはじめ警察はもうほとんど無視していて、犯人側が勝手に死体を盗み出しその跡にテロの象徴みたいに継電器を置いておかなければそちら関係に警察は関心を持たなかった。謎の中国人みたいな悪の下回りフ・チェンがあまりに間抜けのせいでこういう小説になっちゃったのなら、それは中国人の頭が悪いだけのような気もする。謎の中国人がキャッシュカードを手に入れ20日に何食わぬ顔でWEBの中枢に指令のナンバーを入力したなら、イースタ署の面々が知らぬ間に勝手に世界経済がクラッシュするだけのことで、犯人サイドからすればものすごく歯がゆいなあ。
サイドストーリーである“レイプされた女性が犯人の父を殺す”という事件なんだが、結局その事件の重さを作者は無視していて、その重みを読者に丸投げみたいで非常に不愉快だ。タクシー運転手という職業は、まあ日本国でも数十年前までは“雲助”とか“車夫馬丁”とか差別ではないが顔をしかめる職業みたいにみられていたが、そのへんに関する北欧での扱いは分からない。上記、ボーイフレンド失踪時のタクシー運転手の訊問のさい喪章をつけていたとかのあたりにギルド感覚があるのかな。
たとえばレイプ犯の父親が、息子可愛さで隠蔽工作とか脅迫にかかわっていたとかそういうものもないみたいだし、だからやっぱりレイプとその復讐として小説は読めない、脱走した彼女がなぜ・どうやって死んだのかも(間抜けな謎の中国人をレストランで見ちゃったせいでとか?)よくわからないままだった。
主人公のヴァランダーが仕事でも私生活でも悩んでいて、なおかつ職場で同僚(部下なの?)から陥れられかけているなど、まあそのあたりちょっと臭いが警察小説としては面白い。警官としてではなく上司としてはまあ無能というか無駄に足掻くタイプのヴァランダーだから部下からすれば嫌な奴だが、前作の犯人逮捕時やこちらでの霧の中での追跡など身を棄てて職務に殉ずる態度などでは部下としては嫌いになれない人だなあとは思う。
当人が相手の不機嫌さのサインなどわりと注視していてでもそれでも“痛い”振舞いに終始しそれが自分の立ち位置を不安にグラグラにするあたり、世間の多数のの無能な其他大勢(わたしとか)に小さい教訓をくれて入るのだろうが、でもこのストーリーに陰影を与えているとは思えず、魅惑的な女性の罠に簡単に落ちるあたりなど読者にはいら立ちしか残らない。
前世紀1998年に記された小説、IT工学の暴走で世界経済がクラッシュという作者のifにまだ解答はないが、まあそちら関係では先駆的な作品だったのかもしれない。小さい悪意はWEB上にこれだけ拡散されている現代、ある意味で小説的に醸した悪意を超えた下司で形而下が無意味に世界全体を蠢動させる。
世界経済をクラッシュさせたところで、数年かけて徐々に崩壊する金融世界を誰が喜ぶ?そうではない個人攻撃をだれもができるというワールドワイドなムラ社会だったとは14年前の著者には考えつかなかっただろう。無駄な大作だったというべきか。