「直立猿人」ならチャーリー・ミンガス

角川文庫8月刊 中島京子 宇宙エンジン

伊丹十三のエッセイ(いや小噺とか)でやっぱり「直立猿人」ってのもあったな、水平猿人とかロータリー猿人とかさ…。
痴呆になった母の壮絶だった青春とか生きざまとかをアーティストの娘と、その母が経営していた幼稚園児だった男性(娘と後に結ばれる)その他が再構築するというドラマ。探索の途中で出会った作者という第三者が中途から物語をリードするあたりが、とても純文学していて心地よかった。登場人物としての作者の元恋人によって柿崎熱と下斗米さんの物語がわかるきっかけがでてくるというあたりに、まあ痴呆というあまりに即物的だが絶対な断絶があるにしても、時間という浄化作用の酷薄さを感じないわけにはいかない解説で豊崎由美がこんなふうにひとつの世代を語る。

前略…
あさま山荘事件に限らず、七〇年安保闘争ベトナム反戦運動、成田空港問題、沖縄返還運動といった「スチューデント・パワー」に支えられた七〇年代的光景は、いまや記憶の中にかすかに残る時代のイコンと化し、平成生まれの世代はもはや歴史の一部としか認識していないだろう。でも、その一方で、当時若者だった世代にとっては大事な自分史としていまだ生々しい近過去ともいえる。つまり、扱いに困る時代なのである。
…後略

「テロリストのパラソル」というとてもマヌケな小説だとか「ららら科學の子」というとても抒情的な小説だとか、1960年代という時代を知らぬと意味不明になる検証のための小説というものがあって、それでもってこちら「宇宙エンジン」はその検証のために必要な補助線のようで、でもわたしのようなポスト団塊でさえ首をかしげるってのは検証のための役に立っていないということか。まあ皆がもう忘れ去りたい記憶みたいな全共闘なんだろうかな。1985年の浅草橋駅事件以はもう前進社の家宅捜索とかあとついに活動家の生活保護費詐取事件とかみたいで世間はもう無駄な憧れなどみないということだろう。

http://netouyonews.net/archives/7515112.html

柿崎熱という隠れた主人公って加藤三郎とか実名挙げていいのか、まあインテリではない活動家というかピース缶爆弾の牧田吉明のほうではない屈折や転覆への野望みたいなのが、でも小説からは感じないんだよな。全共闘ってだからそのへんでも成功者にとっても“恥ずかしい過去”でしかないようになっちゃったのよね。誤認された下斗米さんが内ゲバで大けがするというふうに、全共闘のマイナスだけが昭和50年代を覆い尽くし新左翼運動はまあ消えてなくなった。
総括という言葉がニッポン国ではまあとても使えない犯罪用語になってしまったりして、わたしたちの革命幻想は終了した。
まあどちらかというと、非合法活動家ではない一途な社会党幹部みたいな真面目なバカが時代の幕間でのズんどこぶりをもいちど中島京子的な覚めた熱っぽさで表してほしい。きっとそのほうがニッポン国の低腦だったがそれなり着実なアウフヘーベンを語れそうに思えた。とても身につまされる読書体験でした。


チャーリー・ミンガスが聴きたくなったらYouTube(動画はないけど)でモダンジャズに浸っちゃおうか。