早川書房 ハヤカワミステリーワールド7月刊 開かせていただき光栄です 皆川博子 

※ネタばれに近い感想文です。
読んでいる最中にはあまり感じなかった違和感が読了後にどっと溢れて、つまりそれはミステリとしてそうとう不出来ということです。あとで引用しますが、英国の訴訟関連知識がこちらにないのだから“人殺ししても罪にならない”という状況・認識が理解できない。ま、それはあとで。
読者の好みにもよるけれど、少年詩人ネイサンの憧れの人である準男爵令嬢エイレンの妊娠と死と、その死体が胎児ごと解剖教室に持ってこられて解剖されてる、なおかつその時女中部屋には少年詩人がいるという物語状況がないがしろにされている─動機も犯人探しも、ついでに読者サービスもここをあまりに軽く扱ってはいないか。
というより少年詩人と古書の贋作のほうのストーリーが、物語全体のバランスを崩していて、推理とも世相とも遊離している。ラストの感動につなげる必要はあったのだろうが、男爵令嬢との出会いも含め構成をもう少しシンプルにまとめたかった。経済的に弱みを握ることでの教唆犯と実行犯の動向や犯罪自体も、携帯電話のない時代なのだしちょっと無理が多すぎる。中途で主人公ダニエル先生の一番弟子、二番弟子が犯罪にかかわっていたことが分かるのだがそこからの流れも小説的にかりにくいな。正義の治安判事ジョン・フィールディングの名推理やいきなはからいを事前に期待しないとストーリーが破綻するだろ、こんなラストにたどりつくのがあまりの僥倖でしょうが。
あと、最初にも記したが当時の英国の治安維持機構や法(コモンローというのか)が変なので結末というか解決部分が、正義がどこにあるのかどうにも分からなくなる。ちょっと説明します。

フランスなどでは、告訴する者がいなくても国家の裁判所が手続きをするが、十八世紀のイギリスでは、民間人が訴えることによって裁判が始まる。犯人逮捕に要した費用も、すべて告訴したものが支払うさだめである。微罪でも五ポンドから二〇ポンドぐらいかかるし、重罪となったら、訴追者は五〇ポンドから七〇ポンドも負担せねばならない。相当な出費だから、泣き寝入りせざるを得ないものもいる。告訴する者がいなければ、犯罪者と分かっていても法廷につき出せない。もっとも、直接の被害者が告訴しなくても、市の安寧のために費用を負担して裁判を起こすことはある。
泣き寝入りの弊害をなくすために、告訴して被告が有罪と決まれば、訴人した者に報奨金を払うという制度も発足したが、早速、法を悪用する者があらわれた。犯罪を捏造して報奨金を獲得する連中である。
 19 361〜2ページ

というわけで、悪漢2人を殺したふたりの弟子は不起訴というのか裁判ができない(裁かれない)という変なことになっちゃって、それってなんだかなあ、お奉行所とか同心与力岡っ引とかの我が国のほうが制度として進んでるんじゃないの。大陸法英米法っていう括りが、もうこの時代にあったんだな。
前半部で盲目の治安判事ジョン・フィールディング(ちょっとかっこよすぎる)を語る際に、当時の警察官(ボウ・ストリート・ランナーズ)や司法関連の機構を記していて、まあでもなかなか250年前の外国の治安システムは分からない。「大英帝国の警察制度」というページを貼りますね。ジョン・フィールディングのお兄さんがボウ・ストリート・ランナーを組織したのが1749年と記してあります。

http://homepage3.nifty.com/221b/life2.html

当時の世相というか時代の空気が読めただろうか。「トム・ジョーンズ」はこの時代です、読んでませんが(手には取ったが)「─華麗なる冒険」はきちんと映画館で見ています。永六輔が字幕を担当したと、後に「パック・イン・ミュージック」でいっていた。英語は分からんが画面を見ながら適当にせりふを入れたと言っていたけどありゃ本当だったのかな。ロンドンの古い街並みより中途の田舎風景のほうが記憶に残る。「オリバー!」のほうがミュージカルだがくすんで古びたロンドンを見せてくれた。
こちらの小説、死体の腐臭や犬の糞の皮屋の悪臭、煤煙が目にしみ汚泥をあさる浮浪児の体臭とヘドロをちょっとは感じられた。カフェや書店もよく描けている。ただ、当時の悪場所は書き割りみたいだったし、雑踏など弱い。夜間に動きまわる少年たちが追いはぎの心配している割には移動に魅力がない。また、250年昔っぽさを風俗所作や言葉遣いでもう少し見たかった。
時代を特定する鍵が前半に2ヶ所。少年詩人がロンドンにでてきて煤煙まみれの空に呆然とする部分「一六六六年の大火で、瓦礫と灰燼の荒野に化した後に、それまでの木造にかわり煉瓦の家々が並ぶようになった当初は、美しい街並みだったのだろうが、百余年を閲する間に、おびただしい煙突が吐き出す煤煙が…」と「マノン・レスコー」を購入に来た男爵令嬢に書店主「プレヴォ氏が亡くなって数年経ちますのに人気が衰えません」というところ。アベ・プレヴォが死んだのは1763年だそうで、1770年以前のお話ですか。日本ですと田沼政治が1772年からだから「剣客商売」とかぶる。書き下ろし時代劇文庫を腐してばかりのわたしですが、まあ同じ250年前でも近代を生きているイギリスだとこんなふうに現代作家の筆で描き切れる。そのへん、どうか時代小説関連の編集者たちがはやくに気付き明治・大正・戦前時代劇を世に出してくれないものか。