文藝春秋の新刊 2008・3 「道後にて」 ©大高郁子
「道後にて」という文字がなければただの銭湯の下足入れにしかみえない。まあ、町中の銭湯より玄関が広いとか、色調の地味さとか桟のはめ枠の風情とか、そうかここが坊ちゃんで有名な道後温泉なのねと─でもそうはみえないか。みえなくても仕方ない。
下足箱の白い鍵のぶらぶらと後ろ姿じじいの輪郭が巧すぎる(貧相にみえる)せいで、ただの銭湯感が強まったでしょう。それもまあ、仕方がないか。いままでにない本当のスケッチみたいな手法の作品だったから、一生懸命に絵を見てしまったってことだな。上と下とで遠近感が違って見えるところもちょっと気になる─って、なんだかそういうあら探しをしたくなる絵なんだよな。
でもなによりこの作品、作者にとってリーフレットにとって新境地じゃないですか。いままでにない色使いや風情・情感なんかにもっともっとチャレンジしてほしい。
購入したのは中原昌也。
- 作者: 中原昌也
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2008/03
- メディア: 単行本
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先月も文春から新刊出てたな「ニートピア2010」そちらは腕組み数分で購入を見送った。で最新刊は映画に関する対談集なのだが、なんだかものすごく読み応えがなくて残念。横暴で傲慢ででも読み応えのある小説を提出する作者だしこちらはイライラ歯軋りし生理的に読めなくなったり急に指の先が震えたりと壮絶な読書体験な中原作品なのに、こちらではニコニコ顔の幇間みたいに原作者や監督や主演男優や蓮實重彦に媚を売ってるみたいな発言があったりで何だかすごく拍子抜けだ。
中原 ゆとりのない面白さというものに対して文句を言いたくなるんです。映画というのはこんなもんじゃねえぞ、と言いたくなる。もっと無様で、もっとよどみがあるべきじゃないかって。そういう問題について、どうするのか、というと氣に、スコセッシは我々の敵側に回ったかのような態度に、今回は見えちゃったんですよ。ある意味での定型に逃げちゃっていると言うのか。
映画の頭脳破壊 2 鈴木則文と「ディパーテッド」の考察
そうか、あの読みにくい文体は「ゆとり」のサービス精神だったのね。