葉室麟 銀漢の賦

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松本清張賞受賞作。一気にすらりと読めた武家時代小説でした。清張賞に関しては以下に。56歳か、わたしに勇気をくれる人ですね。

http://www.bunshun.co.jp/award/matsumoto/index.htm

藤沢周平時代物よりも、武家の役職や知行その他細部の設定がしっかり描かれているあたりがいいが、それは「武士の家計簿」効果かもしれない。出世欲にはまってしまった殿様を諌めたが腰巾着に疎まれ失脚・討たれかける家老という設定は、現代の官僚機構・企業などに容易に投影できるので、興味を持続しつつ読み進めた。
20年前に藩を牛耳っていた九鬼夕斎という家老(父母の仇でもある)を失脚させた松浦将監が(その過程で十蔵という少年時代からの友を断罪している)名家老として功なり名を遂げたのだが、因果は巡り家老職を解かれ殿様の命で討たれる運命に。上意討ちの追手にえらばれたのは、もう一人の主人公である日下部源五という旧友。将監が出世する過程で刑死した十蔵とともに三人は少年時代からの朋友だったが、重蔵の処刑以来、二人は絶交状態という設定。出世亡者の娘婿に促され、将監の屋敷に源五が向かった。

 
(前略)
将監は庭に降りた時には刀を抜き放ち、鞘を重輔に渡していた。重輔が驚いた表情で二人の顔を見たが、源五はにやりと笑って同じように足袋裸足で庭に降りた。
(中略)
「源五、お主、上意討ちを命じられて、わしのところに来たのであろう」
と言った。源五は薄く笑って、
「ああ、確かに命じられたな」
「恩賞は出るのか」
「しとげたら鷹島屋敷の留守番役にしてもらう。余生は鷹島で月を眺めて悠々自適というわけだ」
「屋敷番だと?わしの首がそれしきの恩賞にしかならぬというのか。なぜもっと掛け合わぬ」
将監は顔をしかめた。源五はふふん、と鼻先で笑った。
「古屋敷の番人では恩賞として安すぎるか」
「安い。どんなに少なくとも百石の加増は望めるはずだ」
「うぬぼれの強い男だ」
「お主が、駆け引きが下手すぎるのだ…。」
(後略)


中途までは藩での権力争いに友情を絡ませた時代小説として読ませておいて、将監宅での源五とのこんな楽しいやり取り以降、アクティブな活劇と変化する工夫はいい。
プロローグで二人が再会した場所である馬返し観音堂での決闘場面、病を得た身で家族ともども脱藩しようとしていた将監が「…わしに二度も友を見捨てさせるな」と、引き返してくるところが圧巻。20年前には将監から見捨てられた友であった十蔵の遺児である蕗とのトライアングルなどよき西部劇を見るよう─勇気ある追跡リオ・ブラボーエル・ドラドあららジョン・ウェインばかり─。しかしそのあとの決闘シーンは冗漫と感じたな。きちりとプロットや書き割りを作ったのだろうが全てを詰め込みすぎ動きが鈍くなった。また後日譚を記したエピローグも説明や述懐が長く、爽快さやカタルシスの作用がひどく弱まり残念だ。
その他、いくつか気付いたポイントを。
視点のずれが幾度かひどく気になった。少年時代、源五と小弥太(将監の幼名)の掛け合いの際にいくどか視点をずらされた。また急な神の視点の挿入もいくつか目障りだった。
現在(源五・将監とも50代前半)、将監が前家老を追い落とし十蔵が一揆の首謀者として処刑される20年前、自害した母を看取った小弥太が源五とともに父の仇でもある鷲津角兵衛と決闘したたぶん30年前、道場で二人が、帰途に鰻売りの十蔵とがであう40年前とがモザイクとなって進むストーリー運びには違和感はないし、読み進むにつれ以前の謎が解けてゆく読書の喜びを感じた。
ストーリーの軽重にはすこし不満が。小弥太の母の自害はもう少し青年期の二人にとって重い枷として人生を縛ったのではと読者は忖度したけれど、ほとんどトラウマになってないあたりが寂しい。公募の新人賞であるという量的制約で、二人の人生の駒々が書き割り的に放置されたような印象がいくつか。後半の活劇部分ももう少し娯楽性を加味できたのではと思う。新人賞として出版されたことを祝う気持ちもあるが、もう一回り大きな娯楽作品になったかもしれない。