藤沢周「箱崎ジャンクション」文春文庫 06年10月

箱崎ジャンクション (文春文庫)

購入してすぐ読んだこの本だけれど、前述の「サウンドトラック」ショックが尾を引き、レビューなんぞを記し損ねた。「グロテスク」にかんしては、ちょっとだけ書いた。前半2章だけをもう少し膨らませた1巻ものだったらどんなすごい恐怖小説になっていたかと、しみじみ思ったっけか。
藤沢周のこの小説にも、いいたいことが。純文学だと室田が主人公でいいのかもしれないが、川上の視点で全編通していたら、アクションありサスペンスありミステリありのすげえ傑作エンタテイメント小説になったんじゃなかったかと。
帯に「壊れていく男─これぞ現代文学の臨界点」とあるけれど、わたしとしては現代娯楽小説の臨界点のほうこそみたかったなあ。
まあ、理知的行動的ですてきな人間性の持ち主、小説の主人公としてふさわしい人格の持ち主として川上という副主人公は描かれている。ネタバレでもいいのか、ミステリじゃないんだから。

もうひとつの「箱崎ジャンクション」梗概

死期を悟ったタクシードライバーの川上にとって、離婚した妻が養育する幼稚園児の愛娘を勤務中に遠くから眺めている時だけが至福─であったのに、ロリコンだかと間違われ、通報されたせいで自社のタクシーでではもう幼稚園にも近づけない。
そんな不幸な彼が“自由な時間”をもう少し得ようと、ちょっと策をめぐらせ、仕事に不熱心・無関心で周囲も見えてないようなちょっと壊れかけた室田という同業者を選んだ。近くを横切り小さくジャブを出したり彼の気質を見定めた上で、制服と車とを半日取り替える約束を取り付ける。
幼稚園に目をつけられているタクシーとは別の車だから、数日はゆっくりと娘の姿を追えると思った…のだが、室田という同業他社のドライバーの壊れ方は川上の予想を越えて悪質で不穏だった。そのせいでクレームやら事故や彼の元妻とその愛人やらオシッコやら、面倒なものがどんどん飛び出し、収拾できぬまに大吐血する川上の運命や如何に。

うーん、どうでしょ。もちろん室田の苛立ち執着心、それに仕事を含めた人生への不熱心、不寛容さも理解できるが、やっぱりそこはそれ純文学。と、まあここまで馬鹿にしておいてからいうのもなんだが、とてもスリリングな読書体験でした「箱崎ジャンクション」は。
薬に頼る病的なタクシー運転手の独白の中から、川上という副主人公の活躍するもうひとつの小説を見せてくれるという構造やカットの手法のアクロバットが見事なんですよね。もうひとつのストーリーが心地よく匂い立つから、室田の孤独・焦燥、そこから生ずるイライラや人生の投げ加減とそれでも残る元妻への狂おしい執着心のぶざまさが美しくストレートに提出されるわけだ。
ラスト、2人の乗ったタクシーは時速200キロで首都高側壁にぶつかっていたのかもしれないし、もはやそんなことはどうでもいいことのようなエピローグで小説は終わっていた。

徐々にだが、ようやく動き出した車の犇きに、室田もシートベルトに腕を通し、ダッシュボードに置いた制帽を無造作に被る。フロント越しに箱崎の空を見ると、灰色と紫色が交じり合って淀んだ雲が覆っていて、氷雨でも振り出しそうだ。
川上からの連絡がなくなっても、また自分は隙間のない地図の上を延々走り続ける。摩滅して、テカテカに光ったような街の道を、憂鬱で陰気なツラを下げて走り続けるのだ。
「果て、なんてのは、何処にもないよな、川上さんよ…。あるとしたら…てめえの中だよな…」
ブレーキペダルから足を浮かせて、アクセルに軽く乗せる。
「そこにしかないよな…」
ルームミラーの角度を戻そうとした時、一瞬後部座席に川上の朧な姿がある気がして、室田は唇を捻じ曲げて、軽く笑いを漏らした。べつに珍しい話でもない。
体に馴染んだエンジンの振動が、箱崎ジャンクションの見飽きた風景を震わせる。まったく変わりなく渋滞は続き、果てがない。
 「箱崎ジャンクション」ラスト数行より

壁に激突する寸前に、2人のプロドライバーによる本当の意味での生と死がぶつかる渾身の駆け引きが描写され、もちろんそれはあまりに息詰まる読書体験ではあったのだけれど、そんな川上との邂逅や彼との出会いのおかげでの過去の精算を“べつに珍しくもない”都市伝説のひとつに貶め、まだ狂ったまま(のよう)にタクシードライバーであり続けるラストの室田がとてもとても怖くて不安だ。

※1…どうでもいいけど、山口瞳が「三宅坂渋滞」という短編集を上梓し、テレ隠しで「首都高通る人が、掲示板みるたび広告になる…」なんていっていたのをこのタイトルから思い出した。本当どうでもよかったです。

※2…藤沢周はわたしと同窓。新潟市の内野小学校の4年後輩ということらしい。もちろん、わたしも彼も互いに知らない仲だが同じ小学校に通っていた妹は接近遭遇したことがあると、いってたかなあ。
そんな妹の場合、学校なんぞで将来の有名人の幾人かと接近遭遇しているようだ。中学校では渡辺謙と同学年。高校は星野知子が先輩だったとか。わたしの近くで有名人はちっともいなかったなあ。