努力の人─村上春樹

「ひとつ、村上さんでやってみるか」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける490の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか? (Asahi Original)

みたいなレスポンスが多いですね。
─そうではないんだろうが、結果的に50代半ばとなった自らの半生を肯定的に受容しているというような語りがつづいてすこし鼻につきかけてはいる『「ひとつ、村上さんでやってみるか」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶつける490の質問にはたしてちゃんとこたえられたか』を半分くらいまで読み終えました。
すこしうんざりみたいではあるけれど、でもそれなりに村上語録をピックアップしてみてもいいかな…なんてちょっとは思ってしまうわたしもいてね。

「…僕らはそのような個々の問題を、「物語」という沼にひっそりと沈めていくことができます。僕はそのような沼のありようを小説というかたちにして、みなさんの前に提出したいのです。僕自身もそこに何かを沈めることができるし、みなさんもそこに何かを沈めることができる─そういう沼です。それも僕が小説を書き続けている理由のひとつです。
というと、人生ってなんだか怖そうですね。でもほんとは、、そんなに怖くはありません。僕らはその沼(池と言ってもいいし、井戸と言ってもいいかもしれません)をこうして共有しています。そして僕らは少しでもまともにこの人生を生きたいと願っています。そうですよね?だから恐れることはありません。共有することが大事なのです。そして願うことが大事なのです。がんばりましょう。

質問140「恐れることはない」より

でも、わたしは頑張れるだろうか。とはいえ、村上春樹語録が作れそうなくらいの造作ではあります。「少年カフカ」は途中でくたびれましたけど、それはともかく作家村上春樹にとって、こういう時間の無駄(この先、村上春樹で学位をとろうという学生にとってはこのシリーズ、大いなる泣き所になるだろう)が、経済的な意味などではなくてどうしても必要なんでしょうねえ
とはいえ、まだ半分。読み終えてからもういちど記しましょう。