世相講談 山口瞳


「消えてゆくべき作家」なのかと、前日記した

父と同年齢の山口瞳早稲田大学を自主退学したせいで自動的に徴兵。甲府の連隊で最下級の兵士として終戦を迎えたのか。
戦後も曲折はあったようだが、都会のブルジョア階級的な気質や体臭からくる“凛とした姿勢”が作家の人気の源泉であった。

父の前半生とはまるで違う都会の育ち・暮らしぶりのなかにいる山口瞳なのだけれど、気質みたいな部分に共感したのか「男性自身」の初期単行本がわたしの中学時代、わが家の書架には並んでいた。
その当時、小平市に住んでいたわたしたち一家だったから、そのころ国立市に居を構えたばかりだった山口瞳一家とは同じ季節を感じていた。
「マジメ人間」という、まあそれまで読んできた啓蒙的なビルディングスロマンみたいな少年小説が「子どものおやつ」だったと、いじわるく教えてくれたのが「マジメ人間」だったわけだ。
ちょっとめにはぜんぜん意地悪なんかじゃなく、自身の劣等感やマイナスポイントをちょっとおかしく悲しく(ペーソスなんて言葉を覚えた)記しため息をつくという“読みやすい私小説”みたいな体裁だけれど、これがある種の人物(例えばわたし)には強烈に作用し、言葉の重みで立ち直らせぬほどの毒があった。
そういう意味では「世相懇談講談」。山口瞳のよき部分が詰まっている。ドラマとしてもドキュメントとしても高レベルだし、だがそれよりも実験的な試みというと死者は笑うか、ソナタ形式とか序破急とか、まあそういうすてきなストリングスの妙を擬古文調や講談その他の実験文体を駆使するレトリックの宝庫だったりする。
まあもちろん、うちの父と同世代。40代前半の脂の乗り切った時代に書かれた作品だもの、実験精神も旺盛だったことでしょう。
とはいえやっぱり世話物がいいですね。「人生星取表」「ピグミー長屋」その他人情ものがやっぱり光る。世相講談連載当時はまだ山口家には父上もいたんだよね。そのあたりの屈折が直にでている時代の山口瞳(江分利満氏…など)は、「血族」のナマさ加減の切れば血が噴出しそうに怖くていいですね。