文藝春秋7月刊 村田喜代子 光線

光線

光線

「ばあば神」はすなおに面白い、3・11に遭遇した首都圏の大勢の狼狽と混乱を身も蓋もなくあからさまに吐露していて嬉しいj、ラストには怒りの“ばあば神”(大魔神みたいなのか)が出現し地震で傷ついた首都を踏みつぶしてゆくというイメージが哀れで美しい。フクシマの原発事故と妻の臓器への放射線照射治療とがシンクロするというか、ついに眼前にがれきとなり果て放射能をまき散らすの福島第一が出現する寸前で終わる連作(「光線」「原子海岸」)はまあその、怖い美しさにちょっとこちらも腰が引けたね。
ガンの発生と放射線療法での消滅は、著者自身の体験そのもののよう。配偶者の一人称で描かれた連作だけれど、冒頭の“妻の子宮への反応”が不遜で楽しく、女流作家の凄味と嫌味を強く感じる。

自分の妻が乳ガンや子宮ガンに罹ったら、男はどういう気持ちになるのだろうかと秋山は思う。病気の軽重ではない、臓器の部位だ。妻の乳房や子宮は結婚以来長い年月かけて付き合ってきたもので、肺や胃や腸などとはまた違う。妻が病院で検査を受けるのも無惨な思いがする。自分の身体の末端でつながっていて鈍く反応せずにはおれない。妻は一月半前、予兆があって病院にいくと子宮体ガンの疑いが出た。…後略
 光線 冒頭

放射線治療室のブザー音、桜島の爆発、地震津波原発事故とが重なり周囲が赤く染まり発熱は、身体の異常を呼び込み、これほど世界は異常にぬるい。緊張感の途切れぬ3・11以降の作品群でした。それ以前に書かれた4作も載っているせいで「世界が壊れる音を聞いたとたんの作家」の作業のとてつもなさを感じることができました。