中公文庫 10月刊 堀江敏幸 本の音

本の音 (中公文庫)

本の音 (中公文庫)

2002年晶文社版書評集の文庫化、こういう作品を文庫に入れるのが編集者の腕の見せ所ですか。良い仕事でした。冒頭「それぞれ固有の足音─ドゥルーズベケット『消尽したもの』」と、チャプター2の初編「待機することの厳しさ─R・ラポルトプルーストバタイユ/ブランジョ』」の2編がもうスリリングで、本当“書を持つ手が震え”ました。全文引用したいけど、たぶんくたびれ儲けだろうから敢えてしませんが、自らくりだす“言葉”を信じ切って硬く強くテクストと対峙しエッセンスを奪い取ろうとする著者の作業を、息をつめて読むしかない“悲しいサポーター”として疲弊しつつ読んだ。もちろんそんな原著をちっとも読みたいと感じませんでしたが。

…前略…
言葉はある出来事の実現にそなえて、可能なことを表現する。仕事が終わったから、テレビを観よう。だが仕事を終えてもテレビをつけずに本を読むかもしれないし、買い物に出かけるかもしれない。選択と目的と欲求が多様に変化し、それに応じて状況は変化する。なにかが可能になるのは、べつのなにかを排除するからなのだ。「疲労」は、この排他的なプロセスを経て生まれる状態であり、逆に「消尽」は、そうした欲求や選択や目的や意味はをすべて破棄したところに浸み出してくる。可能性の列挙が命題にとって代わるのだ。
…後略…
 それぞれ固有の足音『消尽したもの』ジル・ドゥルーズ、サミュエル・ベケット宇野邦一高橋康也訳(白水社)より

…前略…
これは哲学や批評といったジャンル分けに属さないひとつの賭けに近い行為なのだ。1970年の「フーガ」ののち、みずから書き続けることによって維持してきた「中性的なもの」への意思どころか、書物という終着点を目指しての執筆にたいする意欲が消えうせ、それこそ「災厄」の張りつめた気配を感じとれなくなったラポルトにとって、文学を正当化する秘跡を理解できぬまま一行も「書けない」話者の物語に半生を費やしたプルーストの苦悩は、規模こそ異なるものの、ほとんど自分自身の問題として深く刻まれていただろう。
…後略…
 待機することの厳しさ『プルーストバタイユブランショ─十字路のエクリチュール』ロジェ・ラポルト/山本光久訳(水声社

ああ、くたびれた。きちんとした文学者がきちんとした文学作品を、真摯に読みエッセンスを抽出する作業の、精緻な科学者みたいな眼差しにもうほれぼれしちゃいますね。でも、読まないけど…2度書かなくてもいいね。