新潮文庫10月刊 中島義道 人生に生きる価値はない

人生に生きる価値はない (新潮文庫)

人生に生きる価値はない (新潮文庫)

世間の人は哲学に期待しすぎる。哲学者が「ほんとうのこと」を語りはじめたら、世間で流布しているほとんどすべてのコミュニケーションは頓挫する。多くの人が誤解しているが、芸術と哲学は相容れない。哲学的音楽や哲学的造形美術などマヤカシ以外の何ものでもない。とくに、画家たちの哲学的センスのなさにはいつもいらだっている。上野の公募展などにいくと「無限」とか「時間」とか『宇宙』とかの表題のもと、勝手な造形が並んでいるが「無限」をこんなかたちで形象化することはできない。
哲学者が問題にするのは、なぜ絵画は離れなければ見えないのか、なぜ「泣いている」女は描けるのに「泣いていた」女は描けないのか、といった問いである。こうした疑問を描くことはなおさらできない。それはなぜなのか、とまた疑問が生ずる。
 「ぼくは偏食人間」 偏食的十月 185ページ

ああこの人はひどく狂っていると「ぼくは偏食人間」読んで思った。これが哲学者で国立大学教授で、家庭を持ち(壊れたけど)他者を教導していることが怖くて不気味でならなかった。そんな狂気が芸になる瞬間をみれたような気もして、もちろん読書の毒をしる喜びは充分あったけどね。ただしこの人を知ってからいわゆる「辛口評論」みたいなものの毒が理解できなくなり、ちょっと不感症みたいになったところはある。
まあそんな元教授の「観念的生活」は、元狂人が教える哲学概論みたいなすてきな書物で、学問の喜びみたいなものも、実は少し感じた。そして10月刊のこちら「人生に…」ですが、わりと普通に「辛口批評」じゃないか。
まあ私小説も書いたあとでは、わりと読ませどころにきちんと着地していて、あれれこれもすてきじゃないの、自身を切り刻み家族をどぶに叩き込み、周囲に悪臭撒き散らし、そうして何か(年を経て得たわけではない)万人に届くレベルに着地できるようになったのかもしれない。