文藝春秋7月刊 篠田節子 はぐれ猿は熱帯雨林の夢を見るか

はぐれ猿は熱帯雨林の夢を見るか

はぐれ猿は熱帯雨林の夢を見るか

大層チープなパロディタイトルが、もうなんだかとても嬉しくて、こういうわくわく気分って最近なかなか味わえなかったぜ。書店から家までわくわく感持続でそのまま読書タイムに突入。さすが篠田節子だわ、エンタメをきちんとおむすびみたいに、きっちり方形、海苔はパリッと中身の具も苦甘しょっぱい工夫のこもった味付けで仕上げてくれてた。
「深海のEEL」─短編では収まりつかなかったか、大勢の登場人物のだれそれがみながめつい奴みたいなキャラで、読むだけで感情移入したくなりもう会えないなんてホント勿体ないこと。金太郎水産の社長はいい味出してるし、尖閣領海問題まで飛び出すし、ハワイの日系じいちゃんもなかなかいいオチをつけてくれた。もったいないと思わせるストーリー展開が実は狙いなのですか。
「豚と人骨」こちらも群像劇でなおかつ、みなキャラが立ってる。でも浴室で回虫が出てくるあたりなどホラーになりそうで、だから著者のサービス精神に「もったいないのに」といいたくなっちゃう。「縄文人回虫で滅びる説」というのがどこかであるのかないのか分からないが、縄文時代の方がいい時代だみたいな出土品は三内丸山についていわれていたりで、説得力はあった。こちらも群像に魅力が。
「はぐれ猿は…」最初から流れはわかっているわけで、そこは読ませる著者の力量。こういう状況の映画っていくつもあって、ハラハラドキドキさせる場面などそちらからの情報もあり、だからCG使った映画観るより同じ時間で読み終えるこちらの小説の勝ちかなって、これって小説をほめていないか。映画化も可能といってるだけです。ボノボ(ピグチン)の疑似性交に関しては大昔に立花隆「サル学の現在」で読みましたっけ。あのなかでだったかボノボと人とが分かれることになった現地の民話が紹介されていて、なにかこの小説に関連ありそうにも思った。
「エデン」ちょっと30年後までもトンネル終了までも出さなくてもよかったかと思った。「刑事ジョン・ブック」とか、あとちょっと違うが筒井康隆の「ヒストレスヴィラからの脱出」とか、全然違うが老舎の「猫城記」とか、まあいろいろ出てきちゃうがそんな“とんでもないところに来ちゃった!”感だけで篠田節子ならきちんと終わらせることができたのでは。
「短編大衆小説としてあまりに開けっぴろげでもすこし文学的抑揚」などとはぜったいいいたくない作品集。なんだかわたしの物語感とシンクロしやすい作家なんでしょうね。