Noism2 byりゅーとぴあ 2/25

「Noism2 春の定期公演 2011」が2月25・26・27各日りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 スタジオBで開催された。初日の25日、午後7時からのレビューを観賞しました。
チケット完売と聞いていたが、スタジオ内に並ぶ200ほどの仮設席は徐々に埋まってゆき、ついには満員。スタジオ内の半分は真っ暗で空虚なステージ。こちら半分はアートを期待する大勢が窮屈に座り体熱が充満してくる。会場全体が奇妙な歪みで不安が増してきたころを見計らい、全ての光源が消え人工的な闇が作られる。当日上演のタイトルは以下に。

  1. 金森穣振付レパートリー
    「Heavy Ballerina」(「NINA―物質化する生け贄」より抜粋)
    「1/60」
      休憩
  2. Inscription(オリジナル新作)演出振り付け 小尻健太

パンフレットに裏面にNoism芸術監督である金森穣が以下のように言挙げており、その文面がこのたびの公演の意味を正直に語っている。

舞踏芸術の専門性は、技術や経歴に宿るものではない。朝練夕緞の日々を通してのみ、身体に宿るものである。
舞踏芸術の精神性は、教育や継承されるものではない。専門的舞踏活動を通し、自らの内に見出だすものである。
劇場文化の未来には、劇場専属の専門家が必要である。舞踏芸術の未来には、舞踏芸術の専門家が必要である。
彼らは厳しい鍛錬を通し、己の限界と向き合い続ける。彼らの目標はただ一つ、ブロの舞踏家に成る事である。
狭き門をくぐり抜け、単身新潟へと移り住んだ若者たち。未来の芸術文化を担う若者が、ここ新潟から生まれる。

舞踏集団Noismの研修生であるNoism2の面々が作るこのたびのステージではヘビーなバレーと格闘することで敵(芸術性とか自分たちの将来とか)の輪郭を知り戦いの勝利を信じ、勇気を持って身体を鼓舞させていた。だがしかしそのヘビーな運動量、振付に振り回されるだけ、皮肉な比喩通りに踊らされるだけで終わることもあるかと危惧した。「1/60」では暗黒舞踏めいた蟹股サル歩きとロボットダンスの組み合わせを3人の女性ダンサーの輪舞で表しているのだが、そのコラボの意味(20世紀モダンダンスの離反と親和、前衛と商業性その他のメッセージ)までが表現されているかまでをステージから感じることはできなかった。
第二部のインスクリプションにしても、もちろん意気込みも演出家の意図も明白であり踊りと言葉と両者の融合で舞踏の可能性を切り開けるのだろうか、ダンサーたちが頑張れば頑張るほど、そこに破綻の不安がきなくさくチリチリ客席まで漂いかけてきてなんだか尻の穴がかゆくなったぞ。もちろんそれらの不穏も含めてのアートでもあるわけだし、体操競技フィギュアスケートでも転倒と背中合わせの難度のスリリングを競技者は提供して(結構失敗するし)いるわけで、まあそのぎりぎりをダンサーは走り抜けねばならないんですけどね。結果として言葉は踊りの邪魔をしただけではなかったかな。
まあでも、とても充実した濃い時間をいただきました。以前Noism06だったか、りゅーとぴあ小ホールでその公演を観たのだが、遠い席だともどかしさが先立ち没入できなかった。小さいスタジオで3D画像みるような感動はそうとう癖になりそうだ。

Noism関連のURLは以下に。

http://www.noism.jp/

参加したダンサーたちも載っていますが、まあなかなかああいう舞台だとどなたがどの役であったのかまでは分かりかねます。舞台終了後にフリートークもあり、そういう場所でダンサー特定すれば、今後の観賞の手助けになるんだろうが、どうも気恥かしくて参加せず帰宅しました。ま、でも、それはそれでいいか。