新潟日報09年2月4日 朝刊社会面(22面)記事より

園長に1年6月求刑 長岡・園児死亡 論告求刑 地裁支部

長岡市の私立鳳幼稚園で2002年1月男児=当時(3つ)=が遊具のひもを首に絡ませ窒息死した事故で、業務上過失致死罪に問われた同市川崎5、園長山田イサホ被告(85)の論告求刑が3日、地裁長岡支部で開かれた。検察側は山田被告に禁固1年6月を求刑した。弁護側は、山田被告と、既に同罪で禁固1年を求刑されている同市御山町、主任教諭小林芳子被告(30)の無罪を主張した。
検察側は論告で山田被告について「幼稚園の最高責任者として、遊具を適切な場所に設置したり、園児の監視を複数名配置したりする必要な措置を講じていれば事故は回避できた」と過失を指摘。「基本的な注意義務を怠ったにもかかわらず、不合理な弁解に終始し否認し続け、反省の譲は極めて乏しい」と非難した。
弁護側は最終弁論で「事故の前日、山田被告は職員に対し男児から目を離さないよう指示した。安全に関し必要とされる注意義務を尽くしている」と主張。事故から3年以上たって2被告が逮捕、起訴されたことを「事故の具体的状況を客観的な証拠により特定することもないまま、架空の事実に基づき公判請求された」と批判した。

新潟日報の記事をそのまま引用すると、訴訟や賠償をと叱られる(過去があった)ので記事を貼り、読めない方のために内容を補完することにする。
わたし自身、過去に新潟日報からの(訴訟や賠償を迫られるという)脅迫に屈し以前の記事をすべて削除したため、この事件・事態の異常さを編年体で伝えられないもどかしさをとてもつよく感じてはいる。新潟日報という新聞社はフェアユースという概念は存在しないのだろうが、だとすれば自社記事をデータベース化し常時閲覧可能とすることで報道機関としての義務を果たしてもらいたいものだ。死亡した当時3歳だった少年の名は浅井翔。
求刑に関する毎日新聞のネット記事はこちらに

http://mainichi.jp/area/niigata/news/20090204ddlk15040178000c.html

新潟日報記事中にある主任教諭への求刑記事はこちらに

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/081219/trl0812191637011-n1.htm

記事中にあるとおりで事故は02年に起き、逮捕は05年、逮捕当時の新聞記事を見たわたしの印象は「高齢者を逮捕拘束してどうするんだ」というものだった。当時80歳、記事からは21日拘束されていたようだったし論告求刑も入院中のため延期だそうで健康上のことなどから在宅での起訴でよかったのではと単純に思っていた。
この事件、遺族の追及によって立件された。逮捕当時の新聞記事では遺族の写真が紹介もされていた。なにしろ死亡「事故」なので、園側の謝罪や賠償が適切に行なわれておれば立件の必要もなかったはずなので、きっと感情的な齟齬が重層的になったあげくの告訴や告発があったのだと思う。このたびの記事で「事件の前日に園児への注意義務を…」と記されているあたり、多動であるとかそういった被害者の性癖みたいなものをいいたいのかと勘ぐっても見る。
この事件自体を冤罪というつもりはない。管理責任は問われるべきだし被告の園長がそれを十全に果たしたかどうかは吟味されてしかるべき事案だ。ただしここに甲山事件に似た検察の暴走の痕跡を「新聞記事だけを見てきたわたし」はじつは感じている。立件されているのは園長と主任教諭、当日実際に園児たちを事故現場で監視していた助教諭KMさんも2人と同時に逮捕されたのだが、早々に彼女は起訴猶予だったか略式起訴だったかそういう形でこのストーリーの中から姿を消す。
つまりはKMさんの証言で園長と主任とが管理責任を問われ逮捕起訴から4年近くたったいまも犯罪者として被告として扱われているわけだ。実際に当日目を離して事故を惹起せしめた狭義での加害者であるKMさんを裁くこともないままで─そのへんがなんとも不自然。検事判事は園長たちのような「無罪を声高に主張する被告」にはきつく当たるもので(鈴木宗男とか佐藤優とか…かな)、なんだか“本当に裁かれねばならないこと”があまりにないがしろに、おざなりにされたままのとてもやるせない裁判が続いている(ような気がする)。
この事件、そして元新潟県警巡査長青山三郎の事件など、どうしてもweb上に残しておきたいと削除当時は痛い思いをしたのだけれど、まあそうはいってもわたしにもうできることはないのだし、小さい願いとしては新潟日報さんにフェアユースに関してすこしは考え直してもらえないものかなと小さく考えるだけです。