創元SF文庫07年3月刊 菅浩江 ゆらぎの森のシエラ

ゆらぎの森のシエラ (創元SF文庫)

ゆらぎの森のシエラ (創元SF文庫)

このとーとつでくらくらするような視点の変化が“ゆらぎ”か。ある種の実験小説かと思ったよ。ソノラマ文庫が初出って、まあ、そういうジュニアものこそきちんとした文法や話法や視点が必要ではないのか─そうでなくても再文庫化する際にそんな部分直そうとは思わなかったのかね。やっぱ実験小説?

菅浩江の世界にあってはテーマそのものまでもがやさしく迷うように揺れている。なにごとも断定されないし、なにごとも決定づけられない。それこそガスがSFの新しさであり、それまでの「高度経済成長期の男の小説」とは決定的に違うところだったのではないでしょうか。
そして絶えず揺れつづけるからこそ、たとえば“小さな生き物”=遺伝子=盲目的な「進化推進システム」という卓見にも到達することができるわけなのでしょう。
これがリチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」論が日本でもてはやされる遥か以前のことであったのを思えは、以下に菅浩江さんの「ゆらぎの森のシエラ」が前衛的な作品であったかもわかろうというものです。
 山田正紀による解説より ラストの部分より抜粋

竹内久美子の「そんなバカな! 遺伝子と神について」の出版が91年だそうで、じゃあ一般的日本人程度な知力のわたし的にも“遥か以前”と位置づけていいんでしょうね。でも山田正紀の解説の一生懸命さに反比例して、読み終えたわたし的にはサイエンスみたいな部分に納得は出来ぬし、ファンタジーとしても感動とか冒険とか傑出しているとも思えない。ある種のエポックというのは理解できるが、それってクロスオーバーというのかサイエンスの拡散みたいな悪い意味での新時代だった気がする。もちろん山田正紀「宝石泥棒」はすてきな作品ですよ。
とはいえ、昨年から始まった創元SF文庫による日本SFの回顧を腐しているわけではない。堀晃・鏡明の代表作を再文庫化した功績は忘れられぬし、そういう意味ではすてきな純文学の中にファンタジーマインドSFマインドの強い作品だってそうとう多いだろう、そのあたりの再評価みたいな流れができないだろうか。安部公房倉橋由美子福永武彦武田泰淳その他文庫が絶版になっている純文学作家も多いでしょうし、なんとかそちら方面にもどんどん触手を伸ばしてみたらとても楽しいんじゃないの?