光文社文庫 08年4月刊 佐藤正午 象を洗う

象を洗う (光文社文庫)

象を洗う (光文社文庫)

01年に岩波書店から刊行されたエッセイ集。岩波の編集者が掌編小説も含めまとめたものだとあとがきに記されている。どうして岩波文庫から刊行されないのか─現代文庫がなくなったからですね。連載された2つのシリーズものは90年代の初めのもののようで色褪せたとはいわないが、すこし淋しい読書体験ではありました。
「性格について」というエッセイでのエピソード、かつてみたはずの映画なのにみたことすらまったく覚えていない数人で、そのビデオを見ていたらおたがい別々のシーンで「あ、この映画見ている」と気付いたっていうエピソードがでていて、ちょっとナンシー関「記憶スケッチアカデミー」を思い出した。

前略…
ナンシー関 たとえると、パソコンでテキスト(文字)は容量少なくて済むけど、画像になると急に容量を使うじゃないですか。なんか、画像として記憶にとどめておくのって、けっこう大変なことなんじゃないのかな
いとうせいこう そっかそっか、そうだよね。それを脳の細胞の中に蓄積するためには、それなりのエネルギーが必要なわけだから、電気信号とか。それをなるべく少なく怠けて生きている。脳味噌は数パーセントしか使ってないとか、言うじゃない。…(略)…「カエルは緑」とか「太陽は丸い」って言う言葉で記憶するほうが楽だからさ。記憶はズルのかたまり。
押切伸一 そういうことはあるかもね。
ナンシー さっきニワトリも、4本足のニワトリなんてみたことあるわけないじゃないですか。過去に見たことのあるニワトリのビジュアルを思い出す作業より、ニワトリっていうキーワードで辞書を引いてしまうんじゃないかな。
押切 記憶の辞書化ってことか。
ナンシー でも、自分の辞書にはニワトリの脚に関するデータが載ってない。そんな時に4本描いてしまう。
いとう そーかそーか。抜け落ちているから、違うものを持ってきて補うってことでしょう。トラとかを持ってきて補完しようとする。…(以下略)
  ナンシー関の記憶スケッチアカデミー  3 記憶スケッチ学会座談会より

脳科学者もびっくりみたいな指摘に驚く。あれ(「記憶スケッチ…」)はある種ものすごい奇書ではあったな。あれれ、佐藤正午の「性格について」の感想はどうなったのか。
箸を忘れたって話も面白かったな。あまたの母親は忘れ物をするという指摘が正しいとは思わない。わたしくらい忘れ物する人物も少ないので他者を貶めるスローガンの片棒をかつぐ気はないだけ。でも「忘れ物」というエッセイの後半で、出前で箸を忘れたくせに電話をしてきたお客を叱る(それも怒鳴る)食堂店主ってシェチュエィションはなんというのかわたしにとってすごく怖いものがある。理不尽というやつですね。電話してきた客にわたしは同情しますよ。
ま、それはともかくとても軽いタッチの雑文集で読みやすくてよかったです…って岩波文化人をそんなふうにあつかっていいのかしら。