光文社文庫08年3月刊 近藤史恵 猿若町捕物帳 にわか大根

にわか大根―猿若町捕物帳 (光文社時代小説文庫)

にわか大根―猿若町捕物帳 (光文社時代小説文庫)

ミステリとしての出来は悪くはないような気はする。第1話はまあ及第、吉原の花魁だもの、心意気というのか、意地で死ねるでしょ。逆にいえば「だとすれば探偵など不要な、吉原ではけっこうよくある事故じゃねえの」という不満ですかね。“履物を隠す犬”のトリックというのかアリバイ作りもわるくない(中年親父のわたしはそんな着物のお嬢さんをおんぶするほうがエロティックだけどさ)。
第2話のほうは相当苦しい。自分をそう簡単に貶めることって絶対できないだろう…がメディア(浮世絵師)による悪評というのは巧いじゃないか。
第3話は分かりやすいが、犯人があまりに身近でそのへんが悲しい。事件当日の意味を冒頭に置いたのはいいが、でも時代考証として正しいのかは疑問。
というわけで、捕物帳─ミステリとしてのできは悪くないが、時代物の短編としては少し長すぎ、詰め込みすぎの印章がつよい。洒脱な父親とその若い嫁という家族構成は「剣客商売」っぽいか。その若すぎる義母が料理下手だったり芝居好きだったりというのは著者のサービス精神かもしれないがほとんど不要なエピソードに思える。
また構成上の難というのか花魁の梅が枝、陰間あがりの役者巴之丞と、ちょっと脇役が絢爛すぎないか。有り得ないんじゃないのかという印象が強く、これってドラマ化狙いとしか思えないぞ。八十吉というワトソン役の視点が時々、あいまいになるあたりにも難あり。それよりちょっと文章が粋じゃないようで。

 時鳥は、どこで時期を知るのだろう。
 まだ四月の声を聞いたばかり。綿を抜いたばかりの衣が、肌寒く感じられるほどなのに、急にあちこちで時鳥の声を耳にするようになった。
 まるで、軒先から暦を盗み見ているようだ。
 八十吉はそう考えて、濡れ縁から庭を眺めた。
 吉原雀 冒頭シーンより

四月って用語が、ここで正解なのか分からないのはともかく、文体に江戸っぽさがなくて自然主義が入ってる。“時期を知る”ってのが近代の語彙だし、暦を盗み見るなんて近世の擬人化として失敗しているみたい。こんな冒頭なので、なんだかこうすごくこの先を読むのが怖くなってしまう人は多いと思う。