光文社文庫 07年10月刊 光原百合 最後の願い

最後の願い (光文社文庫)

最後の願い (光文社文庫)

主人公2人のキャラクターその他、大衆小説の読者としては気に食わない部分が多い。渡会、風見の2人の探偵役のむだな饒舌が推理とストーリーとを壊している。連作短編の方向性として劇団のメンバーが集う過程を作者が楽しんで描くのは勝手だけれど、そのあたり耳障りと感じた読者は多分けっこう多いと思う。
各短編の主人公が、結果的に渡会と風見という2人のメイン主人公の劇団に魅かれたと最後の短編で分かるくらいで充分連作としての括りはいいとおもう。2人の探偵役の超人ぶりがいやみであざとい。エキセントリックで世事に疎いみたいな出演の仕方なのに、推理の場面となると論理も法律も人生の機微も分かっちゃうなんてあまりな設定ではないか。

呆れるほどの無知と驚くほどの知識、唖然とするほどの純真と絶句するほどの洞察力を同居させるこの男(風見)を見ると、度会はタロットカードの「愚者」を思い出す。足場の悪いがけっぷちを目隠ししたまま軽やかに歩く、永遠の旅人。この世でもっとも賢い愚者、あるいはもっとも愚かな賢者。その矛盾を可能にするのは、風見の場合「役者」であるというその一点なのだ。
 ─「写真に写ったものは…」より

だそうで、まあ作者的には2人の探偵の能力は「書き込み済み」でということ、そのへんが辛い。などと貶めておいていうのもなんだが、それなりそこそこ楽しめはした短編集でした。
第1話、第2話の導入部が、泡坂妻夫「亜愛一郎シリーズ」に近いというのか似ているというのか。むしゃむしゃケーキを食べる第1話の主人公、西根響子の食欲は飛行機事故で死んだアイドルタレントのそっくりさんコンテストで出てきた無限大にパンを食べてる最前列の女みたいだし、探偵の度会もウエイター姿ですってん転んだりしてそんな気分に。ただし中途での度会のディオニッソス的変身はやっぱり変だ。
コロンボシリーズや亜愛一郎の魅力は、緻密な犯人(じゃない場合も多いが)がミスった間隙にぼんくら探偵が不意に入り込む快感なわけで、まあつまりはこの連作で作者はそういった範疇のミステリを狙いはしなかったのだが、でもそちら方面の設定が入り込むとわりとミステリが作動しやすいのではないか。第2話「彼女の求めるものは…」での会話の乱雑ぶりも亜愛一郎を思い出させた。
まあ、そういうわけで作者の意図するところとは別の理由でわたしは一冊読み終えたわけだ。第2話が第6話「彼が求めたものは…」に繋がる部分もきれいだったし、時制の乱れも悪くはなかった。じいさんが喋りすぎとか、良い話になりすぎたとか、死者の振りするなんてひどいぞとか、鼻につく欠点も多いんだけどね。
まあ俳優とか演出家とか、そんなに偉いのかよ!というようなネガティブな先入観が自分にあるのがよくないんだろうな。ドルリー・レーンこそ、実はわたしのミステリの嚆矢なんだけれど。