文藝春秋単行本 青来有一 てれんぱれん

てれんぱれん

てれんぱれん

軽く原爆幽霊譚と括ってしまっていいのか。いいのだろう、幸薄いなりに頑張って生きてきた働き者のおばちゃん「よっちゃん」が一人称で語る父と幽霊の物語。
“てれんぱれん”な人生を過ごし消えるように死んでいった父と、父を介在に主人公にも少女時代の一時期見ることができた“てれんぱれんさん”と名づけられた原爆で死んでいった子供たちの幽霊が後年小さな奇跡を見出し、市井の魂を救うというのが物語の骨子。

「てれんぱれん」という言葉はなんとなくぶらぶらと過ごして、なまけている人を非難するときによく使います。長崎近郊の方言だろうとわたしは思っていましたが、佐賀福岡といった九州の北のほうで広く使われているばかりでなく、どうやら山口當りでも使っているようです。
 てれんぱれん 冒頭の1センテンス

まあ、わりとすてきな単語ですよね。新潟弁にはないかもしれない。“じょんのび”って言葉があって、らくちん(な状況)という意味だがでもそれとはぜんぜん違うな。ちゃらんぽらんは共通語ですか。
長崎に投下された原爆で九死に一生を得た主人公よっちゃんの父は、そのせいで生も死も“夢の中”のようにしか暮らせずになり、それと同時に“西方浄土に行きそびれた魂”を見ることができるようになる。
その父も死に、彼女の人生もいろいろあって初老のおばさんとなってから、再び“てれんぱれんさん”と向き合わなくてはならなくなり、でもその経験を踏むことで主人公は雑木林に固まる“てれんぱれんさん”の集団を見ることができ、そして父の無償の愛を知り登校拒否の少年の魂も救済する。
救済っていってもそこは純文学、魂の奇跡なんてものじゃなくてでもそのあたりがやさしくいとおしいんだなあ…西澤保彦に読ませたいぞって、そんなのどうでもいいか。
加藤さんのお宅へ向かう途中、雑木林で大勢の“てれんぱれんさん”と遭遇する場面が圧巻。でも、そのあと加藤さんのお話やらが説明みたいでちょっと小説の短さを恨みました。いや、逆か─もすこし短い会話だけでこれほど背景を見せるみたいな…どちらにしても小説としてちょっと難かな。
もうひとつ、商業高校卒でじゃりん子チエみたいな子供時代で今は掃除のおばちゃん、偏見ではないけれど、そういう境遇の人の語る言葉にはなってないようだと、ちょっといってみただけです。青来氏の小説をはじめて読みました。今後が気になる作家だと言う印象をとても強く持ちました。