篠田節子 秋の花火

秋の花火 (文春文庫)

秋の花火 (文春文庫)

傷口が開いたように、甘い痛みが胸を駆け抜けていく。
火はなかなか移らなかった。井筒の体温が皮膚の上に感じられ、駐車場あたりの子供たちの声が遠くなる。
私たちはしゃがみこんだまま、まもなく尽きようとしている溶接の火花にも似たその青白い火をみつめていた。
花火のはじける音の向こうから、青マツムシの甲高い声が一瞬幻のように聞こえてきて、闇に吸い込まれて消えた。
そのとき井筒の花火の先端から、勢いよく花火が噴き出した。日本の花火は離れ、明るさを増した光の中で、井筒がほっとしたようにこちらを向き微笑した。
  <了>

という感じで、これから不倫関係が始まりそうな「秋の花火」の結末数行。─なのか、消えかけそうな花火は、恩師である欲望のままに生きた指揮者の老いて灰色で情けなく排尿続けるペニスを象徴していたのかは分からないけど。
ソリスト」「秋の花火」と、プロの音楽家の生態を描いた作品がふたつ収録されていて、うまく書かれている分、アートに生きる人びとって大変です(大いに変!)ねとため息が出る。エキセントリックでも破綻してても、許されるっていう大前提がなんとも小心者のわたしとしては不可解です。
ソリスト」のほう、種明かしがあんな場所でほんの短い時間で、主人公だって咀嚼できないだろう。もう少し主人公が「ソ連時代」を身体で理解し馴染んでいた(留学していたくせに)ことにしたほうがよかったのではないか。スパイ・密告・政治犯…それらの言葉、旧ソ連とともにちょっと遠ざかり読者としてトラウマとして受容しがたくなってもいそうだ。─新潟市民以外にはどうでもいい小さな瑕疵、信濃川を挟んで芸文(りゅーとぴあ)の向かいに一流ホテルは存在しない。
「観覧車」はまあ、はっとさせてきらっと楽しい篠田流エンタテインメント。とはいえ村上春樹ファンですと深夜に観覧車がストップなんて「スプートニクの恋人」のシェチュエイションを思い出しますよね。自分が凌辱されているシーンを深夜の観覧車からなす術もなく見続けねばならず、ついには一夜で白髪になったミューという、まあなんともあからさまな精神分析的な物語がありましたね。
篠田節全開の「観覧車」のほうはまあ、おかしく楽しく読んでおしまいでいいのだろうが、でももすこし長くてきちんと“教訓”まで用意してくれたならもっとよかったのかと─そう思わすくらいが名短編なのだね、毎度のことですが篠田節子、すてきな読書体験でした。

「観覧車」の初出が「小説推理」誌の1997年8月号であることを考えると…
  「秋の花火」解説 永江朗より

あれあれ!スプートニクの恋人よりこちらのほうが早いんだ。