江國香織 日のあたる白い壁

江國香織だからという理由でなく、夏休みにちょっと気取ってティーンエイジャーたちの何人かがナツイチの平台から美術の入門書として小さな書籍を手に取ったなら、まあそれはとても幸福ということか。
─じゃあ、我が家に来た1冊はひねた爺にこねくり回されたいそう不幸かもね。とはいえ美術館の案内人は江國女史だし、未知の画家もけっこう紹介されている。ただの教養ではない、美の裏にある毒素含有量にも目配りした、真の意味での若者向け入門書になっているよう。
カバーに描かれた「眠れる幼きモデル」と画家の児島虎次郎。わたしにとってまったく未知の画家でした。

「眠れる幼きモデル」は1911年、虎次郎の滞欧中の画だ。わたしはまず赤い椅子からたれているふさに心惹かれる。昔、たしかにこれに触ったことがある、という既視感をさそわれる。このふさは糸の一本一本に光沢があり、するするともさらさらともつかない感覚で、つめたくゆびにまとわりつくのだ。
 4 祖父の家

作家の生理の襞にきっとこの画、この画家は何かを伝達する媒介物なのだな。誉めようとしてすてきな褒め言葉を見つけられず、明治人の気骨や邪気のない画風やら作者の社会的な評価までを載せて収めた小文なのだが、意地悪な江國香織ファンであれば“つめたくゆびにまとわりつく”ものの不安、不快さを多分に含み彼女の作品中には頻繁に現れるあの病的な幸福感をみてとれ、それなり理解する。
とはいえ、この画にかんしてはカバーにするほどとは思えぬし、あまり好きにはなれないなあ。オキーフの絵を前にすると「わたしの体液にとてもしっくりくる」などとストレートな直球を投げ込んでもいる著者でもあり、けっこう彼女の“創作の秘密”みたいなものが小文中にちりばめられているようだ。

不健康というのは悪いことではない。本質的なものだし、誠実なものだとも思う。そして、信じられないほど烈しいエネルギーでもある。
その不健康と、子供のときの怠さ─自分で自分の身体を持て余すような、手や足がわずかに熱を帯びているような、ぽってりとした怠さ─は、すこし似ていると思う。
  8 あの怠さ

だそうです。無邪気で楽しげな会話をしていた双頭の奇形兄弟をさらりと短編で提出できる作者の健康状態は“多分に良好”とみましたけれど。