文藝春秋の新刊 2003・8 「花火」 ©大高郁子

花火といえば「スターマイン」みたいになったのは、バブル以降のことでしょうか。いやもっと昔からそうなっていたかな。それ以前には何連発なんてので競い合ってたっけか。やっぱ値段が違うんでしょうね。
03年9月のリーフレットと一緒でこの作品も、2枚並べてみてもらいましょうかね。


文藝春秋の新刊 1999・8 「行く夏」

並べてみて、だからどうしたというわけではない。けれど背景色の彩度の度合いの違う2つの花火だ。見ているわたしも位置やら熱やら空気などの微妙さを分かってはいる。
ドーンという震える音まで伝わってきそうな、画面あふれる花火の20世紀版では河原に腰掛けている観衆たちに降りそそぐ白い光の熱持つ臨場感が「はかないけれどものすごーく長い」至福の時間として届けられている。
菊祭り、金賞受賞の一輪ものめく静的な美しさが表現された21世紀版の花火では、対岸を表す小さな点や川面に写るキラキラ金色の影とで空間的な広がり(水中の深さまでも)と、遠く高いところから連続するスターマインをみている不安さ不思議さをこちらに感じさせ、ちょっとしんみりとして花火の悲しみみたいな不思議な気分に浸れちゃうのがすてき。