文藝春秋の新刊 2006・5 「万年筆」©大高郁子

イラストを前にして唸っちゃいますね。声がでない。
生真面目であればあるほど、滑稽にみられちゃう存在という哀しいたたずまいで万年筆の全身像(キャップがないけど)が屹立しちゃってる。
不本意なのか不如意なのかな、意に反してこんなにも時代遅れの存在と成り果て久しい彼の屈託が、すこし縮んで描かれた胴の太さやペン先の生真面目な曲線などから図らずも匂い立ってきてるじゃないですか。いやぁ、マジメくさって。
“明るくはないのだが落ち着きのある”トーンの背景色も絵柄に似合ってとても素敵だ。
万年筆、そういえば持っていたなあ。いや、中学生の頃だけか、実際に普段持っていたのは。きちんとした会社なんぞに就職したことないんで、仕事上では不要で過ごした。新潟に帰ってから、最初に就いた仕事場に提出する履歴書には父から借りた万年筆で記した。現在勤める清掃会社宛にはボールペンでだ。フォーマットでパソコンからとも思ったのだけれど辛うじて留まった。父の残した何本かの万年筆も“燃えないごみの日”に捨ててしまった。
青いストライプ着て胴に2本金線入れた太っちょのレトロなおじさんに叱られそうだな。