文藝春秋の新刊  2004・3 翡翠色の小皿 ©大高郁子

そうか、小皿か。どれくらいの直径なのかな、5寸くらいか。
3段に旧態の漢字がきちんと描かれていて、大高イラストにしてはその漢字たちがけっこう写実っぽくて(そのへん、わかんないけど)きっとモデルのお皿に魅力がありそうです。
青磁、いいですね。優しい冷たさなんて変な喩を出しても仕方ないけど、親和性をおおいに秘めた高貴さみたいな部分が好きです。
とはいえ、我が家には磁器ないなあ。ひとつ自分好みのお茶碗でも見つけてみようか。

集英社のノベリティ(集英社文庫NEWS)を紹介したついでに

今年初めに、近所の書店で貰った全紙大の「文庫創刊80年」チラシ。昭和2年7月9日(土曜日)東京朝日新聞一面に載った岩浪文庫創刊の広告を大きくフューチャーしてある。

でかすぎてスキャンのしてみようがないので、手ぶれ覚悟でデジカメ画像をお贈りします。我が家の近所のくまざわ書店では今も販促グッズ中に置いてあるなあ。
●当時、朝日新聞の第1面は全面が広告でした。
と、端に記してあるのがご愛嬌ですか。山本夏彦の著作中にあった写真をはじめてみた時はでも、ちょっとショックだったな。現在の新聞も広告収入が大きな資金源であるわけだし、夕刊なんて広告のほうが多かったりもする。
でも復刻版、けっこう大きいので「日本飛行學校」や「便所排臭(汲みとり便所に付いていた煙突とくるくる回る排気口)」の広告などがきちんと読めてそれは嬉しい。
岩波文庫(&新書)のチラシ、90年代の半ばまでけっこう揃っていて、そのうえ今でも岩波文庫に挟まっている。
結局、買っても読まないんだなあといつからか実感して岩波から遠ざかった。いやはや、本当に遠ざかっちゃったのだなあ。

ヘニング・マンケル 「目くらましの道」 創元推理文庫

目くらましの道 上 (創元推理文庫)

目くらましの道 上 (創元推理文庫)

上巻文庫カバーには菜の花の写真が。少女は菜の花畑で焼身自殺し、またスウェーデン初夏の風物詩なのかストーリー中、菜の花畑の叙述があったりする。
ストーリー紹介などは当ダイアリーからリンクしている川合元博ホームページでどうぞ。スマートに紹介しています。

http://d.hatena.ne.jp/kotiqsai/20070227#1172581181

以下、ネタバレとなりますが、でもばれてもいい作品。

酒鬼薔薇事件でいいのか、神戸(こうべを垂れて誤植を陳謝)連続児童殺傷事件というのか1997年。ウィキペディアなど読み返し、事件を回想してみるのもいいか。スウェーデンというかヨーロッパで90年代初頭、やっぱり酒鬼薔薇事件みたいなものがあったのかな。
逆に問うとすれば、日本で酒鬼薔薇事件をモチーフにした警察小説は書けないのかしら。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%88%B8%E9%80%A3%E7%B6%9A%E5%85%90%E7%AB%A5%E6%AE%BA%E5%82%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6

フレードマン少年とは違い、酒鬼薔薇少年には直接の殺人の動機はなかった。それだけ3年後の日本での事件のほうが救いがなかったりもするけれど。
激しい憎しみが人格の乖離を生じさせ超人が憑依したような自信を得たフレードマン少年が、芸術的に連続殺人をやりおおせたというストーリー展開なのだが、ちょっと読者としては引っかかるものがあった。鍵を盗むくらいはあったとしてもヴァランダーの自宅に入り込むとか、その娘に平気で近づけるとかあのへん、ちょっと小説として万能感を弄びすぎたのでは。
警察小説として、マルティン・ベッグをいくつかの点で上回っていてとても好感を持った。父親を警察署の自室に通した受付の女性に怒鳴りつけるところ。できのわるい部下にいらだつシーン。その他いくつかの主人公の煩悶や愚かな人間性が、読者に好意的につながるというのか、まあ、ある程度の長さがそうなると必要になってくるということではあるし、半面弱点にもなってくるのかもしれないが。
レイアウト上での疑問点、少年の視点・ヴァランダーの視点中、幾度かイタリックで語られる部分があるが、けっこう読みにくい。老眼男のためには1行あけるとかインテンド下げるとかの編集作業がほしかった。

先日、乾くるみの小説で「再読必至」なんて帯の惹句を皮肉ってみたけれど、「目くらましの道」上・下2巻、エピローグで燃えて死んだドロレス・マリア・サンタナの父が遠路娘の墓参りにやってきたとき、それこそ上巻プロローグで最愛の妻を今亡くす寸前のペドロ・サンタナのやるせなさとがオーバーラップしモンタージュ効果としてわたしを打ちのめし、もういちど全てを失った男の悲しみを味わいたく、プロローグを再読した。
焼身自殺した少女の父と母との出会い、妻を失った男が都会の教会で生まれたばかりの娘の洗礼をお願いするシーン、それらはあまりに清冽で悲しくわたしに届いた。
ハンニバル・ライジング」宣伝冊子で養老孟司は「父性原理の時期を過ぎたという暗黙の認識」が「ハンニバル…」や「ダ・ヴィンチ・コード」が評価された理由だと語っていた。

http://d.hatena.ne.jp/kotiqsai/20070422#1177243573

1995年に書かれた「目くらましの道」でも父権の大いなる失墜が大きなテーマとなっている。フレードマン少年が暴君であった父を含め、男根的な悪意を退治するという意味では、普通の権威を貶める小説でしかないのかもしれないが、夫でなくなり父でもなくなったペトロ・サンタナの悲しい笑顔を、明日から痴呆の父との旅行に出かける主人公の眼前に配置したことで、男であること父であることの悲しみが、どっと迫ってきてちょっと泣けた。