早川書房10月刊 森晶麿 黒猫の遊歩あるいは美学講義

黒猫の遊歩あるいは美学講義

黒猫の遊歩あるいは美学講義

森晶麿(もりあきまろ)と読むそうです。辞書登録したけど、今後使うかな?「第1回アガサ・クリスティー賞」受賞作だそうですが、それって英語圏ではないのか。ドメスティックのみエージェントから認められている地域限定の賞だったりして─決して英訳してはなりませんとか。
台湾の出版社が「島田荘司賞」を創設して、受賞作の寵物先生著「虚擬街頭漂流記」は、わたし読んだよ。ああいう設定ってSFとはもういわないんだろうな、仮想空間と現実とがいれこになっているように読ませておいて、実は現実と見えていた場所も仮想空間だった─「匣の中の失楽」をスピーディかつ読者に親切に換骨奪胎みたいな、でも新たな親子のドラマとしては泣けるしね。
あれれ、なんだか無関係だな、あちらは島田荘司文藝春秋も絡んでいるプライスだし、でも生きてる作家名の賞って(「小松左京賞」とか「鮎川哲也賞」とか、「角川春樹賞」は「野間文芸賞」みたいなものか)なんだか安っぽく感じないですか?
それはともかくこちらのクリスティー賞受賞作、ミステリとして屹立しているといえるか疑問。第一話「月まで」、第三話「水のレトリック」。両者とも語り手の来し方に大いにかかわる疑問が語られていて、第一話のほうは語り手が持ち込んだ謎だからまあいい(そう簡単に実の父が見つかっていいのかと疑問はある)けど、第三話は、これは悪い意味のご都合主義だ。第六話「月と王様」にかんしては、これはいくらなんでもありえない推理で、もちろん「匣の中の失楽」なんぞは不確定性原理で壁を抜けるトリック!もあったくらいですが、ひどく萎えた。
第二話「壁と模倣」第五話「頭蓋骨のなかで」。多重人格というか、別人格として自己を殺して生きるとか、まあそういうこともあるでしょう。島田荘司「ネジ式ザゼツキー」の記憶喪失患者が語る童話はまあもの凄く怖かったが、こちらの多重人格は“まずありえないぜ”でかたづいてしまう。
第四話「秘すれば花」も、元ネタ「盗まれた手紙」をだされればすぐに見当が付くし、つまりトリックやミステリで読ませる作品集ではこれはなく「なぜエヴァンスに頼まなかったのか?」の若者男女ふたりの素人探偵の姿に対して「クリスティー賞」になったのでしょうか。ホームズとワトソンの初対面を彷彿させる冒頭、語り手の頭に引っ掛かっていた疑問を解いたところでは、ちょっと期待しかけたのだがなあ。

ポーの作品のネタバレがあることは作者と読者に対するマナー違反。作品の出来不出来とは別だが、これを解決するという条件付きでの受賞となった。
 選評 小塚麻衣子(ミステリマガジン編集長)

でもまあ、ポーの研究者が語り手で探偵もペダントな人なんだし、ネタバレも味のうちみたいな気もする。