文春文庫9月刊 青来有一  爆心

爆心 (文春文庫)

爆心 (文春文庫)

ほっこりとやわらかく温かみのある悲しみと諦念にのしかかられたような“気だるい重さ”の魔力に酔った長編「てれんぱれん」しかいままで読んだことのない作者だったので、最初の短編「釘」の重苦しさにびびってしまった。救いがどこにもないただ息苦しいだけの家庭崩壊悲劇だった。

壁に無数の毛が生えている、最初はそう見えました。それから、茸か、あるいは黴だろうと考えました。三方の板壁が瘡蓋のように重く盛り上がっているのです。足を踏み入れて、わたしはなぜか肌に痒みを覚えました。三方の板壁にびっしりと釘が打ち込んであります。釘と釘のすきまはほとんどないくらいに稠密に一センチほど頭を残して打ち付けられています。何万本、あるいは何十万本もの釘が使われ、三方の壁はほぼいっぱいで、天井の板の端のほうまで広がっています。
…(中略)…
振向くと電燈の逆光の中に妻の影がたたずみ、輪郭がにじんで震えておりました。
「どげんことですか?」
わたしはなんも答えきれませんでした。
「なんで、こげんことを…」
じっとあたりをうかがっていると押しつぶされそうな息苦しさを感じます。

その釘の壁はシェルターなのかバリアなのか、狂気を得て罪を犯し強制的に病院に入れられた主人公の息子。自分が殺した妻を今も呪う息子に「妄想を捨てよ」と諭しても、帰ってきた答えは両親の信仰するキリストだって「それこそ、妄想じゃなかろうか」とのあざけりが、どきりとわたしを震わせた。
狂気や苛立ちを含め、これらはすべて喪失の物語。原爆と信仰(隠れキリシタンの歴史)という二つの“硬く厳しいもの”たち素材にをむりやりの遠心力で撹拌し裏ごしし物語の型に入れるなら狂気や苦しい性への渇望で表面をコーティングするしかなかったのだね。でも、ラストの「鳥」で、喪失することで主人公(あなた・わたし)は自由になれるという象徴というか、まあありがたい預言をいただいた気になり最後のページでほっとできた。
自転車屋の店員を誘惑する若妻「蜜」はまあ違うジャンルの作品のようだったが、それ以外の作品の主人公たちには強く感情移入でき、読書の毒と喜びを強く感じた。いやあ、こういう小説、あまりの強い毒性だから覚せい剤ほどにいまに規制の対象になるんじゃなかろうか。怖い読書体験でした。