創元ライブラリー09年8月刊 桜庭一樹読書日記 少年になり本を買うのだ

先日も記したけれど、桜庭一樹を読む何よりの喜びが「発展途上の著者の成長を見守る」なんてひどい部分で、それは荒削りだとか技法が未熟とか才走っているとか、そういう作品や書き方の悪口ではなくて、イノセントなふりをしているというか、本当に書きたいこと描きたいこと、つまり作者の根源にあるドロドロみたいなものを、変に隠しているのがこちらに伝わり、でもそれ(ばれているという現実)に作者が拘泥しないというか、無意識のままそれに触れないというか、まあつまりはそういった作者の「膿とか反吐とか下痢便」などの諸々がどういうかたちで今後噴出するか湿潤するか消え失せるのか、まあそういう文学的下司な興味深々な部分なわけなのですね。

父 「おい、ゴンすけ」
母 「あらー、ゴンなら庭よ」
父 「あっ、まちがえた。まりすけ」
わたし 「は、はい…」
いぬと呼び間違えられた。
そのあと平気なふりをして饅頭を頬張り、もとの部屋に戻ったが、部屋のすみで晩ごはんの時間までずっとたそがれていた。本を読む気にも、歌う気にも、腕立てや腹筋をする気にもなれない。ちなみにゴンとは庭で飼っているドーベルマン似の黒い雑種犬で、でかくて怖い。数日前にうっかり庭にでて、思い切りかまれた記憶がある。わたしとの類似点は之といってない。
わたしはじつは父親っ子である。父のことを思うと心は静かに満たされ、それは温かいが、しかし永遠にすこしさびしく翳ったままだ。とこのように、子供にとって親が尊敬の対象である一方、親にとって子供はいくつになっても子供というか、なんかこう、裏庭の犬っころ臭がする、コロッとした存在なのだろうか。
解せない。
俺はゴンじゃない。
  11月 ビバビバ都会!野戦病院!」である。

まあもちろん、WEB上のエッセイだし、こんなふうにその危険なタネをナマで出してもいいんだがそれにしても芸がなさすぎでしょ。赤朽葉家、私の男、製鉄天使(「伯耆合戦大絵巻(仮)」と記してある)が書かれゆく過程“世界作り”がそこそこ甘そうにでも苦そうに記されていて好感が持てるあたりも発展途上作家のいいところかも。

みつけようとしているものはどうしようもない世界なので、どうしようもないことを一日、考えている。なにかとっかかりになることが浮かんだら、なんのことだか分からないながらも、メモを取ってみる。
“傘”“押入れ”“ひ・み・つ”
赤い傘が、ゆれて近づいてくる。
押入れには秘密がある。
…って、何のこっちゃ。まだわからん。
 6月 直毛なのに、アフロである。

日記の中で地元鳥取のヘンな書店定点観測だとか書店・書籍への偏愛に満ちた文章に溢れていてなんだかいつまでも脇に置いておきたい本です…って単行本購入するほどのではなく、パート2・3も早く文庫にならないかな。